ヨーコ(グレンラガン)
赤木しげる(アカギ)
ヨーコと赤木しげる。
一見、この二人のあいだに共通点なんて何もないように思える。
果物でいったら、桃と干し柿くらいの距離感がこの二人のあいだにはある。
なんで、わざわざ果物でたとえ話したんだか自分でもよくわからんけど。
しかし、私はこの前、ヨーコとアカギのあいだにある共通点を発見したので、ここで発表してみたいと思う。
ヨーコは初登場時、たしか14歳だった。
アカギが何歳であるかということはわからないけれども、最初は中学生だった。
なので、上の画像の二人はほぼ同年齢と言える。
ヨーコもアカギも劇中で年齢を重ねる。
そして、成長したときにこの二人は、
アゴが伸びていた。
これが共通点。
「共通点ってそれだけ?」って言われるとこちらも窮するところがあるんだけど、まあ、それだけ。
しかし、ヨーコにしろアカギにしろ最初のキャラデザインのほうが、明らかに正解のように感じる。
最初のほうが完成度が高いっていうか。
これらのアニメでは、キャラが成長したことを、アゴを伸ばす・・・・というよりは顔全体を細長くすることで表現してるわけだけど、そもそも最初の時点でキャラデザインが完成されてしまっているので「まともだったものが崩れていっている」ようにしか見えない。
キャラデザインに正解不正解なんてないだろうけど、とりあえず、アカギは中学生時分のキャラデザのほうが原作には近いし。
キャラの成長を身長を伸ばすことで表現し続けた結果、いつのまにか頭身がとんでもないことになった、といえばキャプテン翼が思い起こされる。
このキャプ翼の悲劇は我々の記憶のなかで、永遠に新ただろう。
さすがにここまでひどくはないだろうし、またアゴと頭身という違いはあるものの、ヨーコとアカギの例もまた、こうした成長の悲劇の一つに数えてよいのではないか。
こうした例は二次元にとどまるものでなく、三次元でもよく見られることである。
成長期のある時点で、顔の造形が完成されてしまったのに、そこからさらに成長するもんだから、次第に造形のバランスが崩れていってしまう。
こういうのは見ているものをなぜか悲しい気分にさせてくれる。
例:SPEEDの今井絵里子、辻加護、タマちゃん(アザラシ)
成長していくことが、ビジュアル面では劣化していく過程にしか見えないのが悲しい。
タマちゃんなんて、最後のほうは可愛くもなんともなかったし。
ところで、グレンラガンのヨーコであるが、彼女の場合、アゴ以外にもある部分を変更することによって成長を表現している。
14歳当時でも十分に胸が大きかった彼女であるが、成長したら、
こんなことになってた。
私は胸は大きいほうが好きだし、つるぺた属性とかいうものが、さっぱり理解できない人間なのであるが、いくらなんでもこれはありえないと思う。
ちょっと気持ち悪い。
やっぱ、ヨーコって最初からお色気路線で発進しちゃってるから、そこからの成長って辛いものがある。
ニアみたいにデフォルトがロリで発進しとけば、まともに成長できるんだろうけど。
ナイナイの矢部は巨乳が嫌いらしいのだが、その理由をかつてこう語っていた。
「エッチしてるときに、おっぱいが田んぼのカラスよけみたいに見えるから」と。
どちらかと言えば、巨乳好きに入る自分ではあるが、これはけだし名言だと思う。
成長してからのヨーコおっぱいが気色悪いのも、おそらく、このおっぱいが
田んぼのカラスよけ的なものを感じさせるからだ。
まあ、実際にヨーコのおっぱいがどんななのかについては、誰もわからないわけで、これは自分の妄想でしかないわけだけど。
人が成長することには独特の痛みがともなう。
少なくとも、ヨーコのおっぱいがカラスよけに変化してしまう程度には、成長は物悲しいのだ。
天元突破グレンラガン ヨーコ写真集*ところで、この目玉のカラス(鳥)よけって、実は何の意味もないそうです。
そういえば、確かに田舎とかでもこの目玉って最近は見ないな。