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亜豆は計算じゃなく
素で女の子してるんだ
(中略)
声優目指してるのだって
今の女の子にありがちな夢を自然にチョイスして
その夢見る乙女を最大限に
楽しんでるくらいにしか思えない
「女の子だから?」(とサイコーが尋ねる)
そう「女の子だから」がわかってるんだ
可愛いお嫁さんになるのが
女の一番の幸せって生まれながらに思っている
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SF Japan VOL.3 冬季号 手塚治虫スペシャル 徳間書店 2001-12 by G-Tools |
ーーー杉井さんは、手塚先生のマンガのほうはよく読まれていたんですよね。それがきっかけで、虫プロに入られたんですか?
杉井 もちろん、小さい頃から大ファンで、マンガはほとんど読んでいましたけど、僕はもともと、小学校のころからアニメーションが好きで、だから最初は東映に入ったんですよ。だけど『安寿と厨子王丸』なんてつくってるんで、何だつまらないや、というので勝手に飛び出しちゃってね。そのとき、先生がアニメをやるという話を聞いて、それは面白そうだというので手塚先生のところに行ったんです。というのも、手塚先生がアニメーションをやるということは、ディズニーのようなものをやると思ったんですよ。なら、これは触ってもいいかなと。もっとも、僕はディズニーがあんまり好きじゃないんですが(笑)。でも、さしあたり日本でディズニーをできるのは手塚先生かなというのが、ほんと正直、素直にあって。ただ、いざ入ってみると、この予想は大きく外れました。
ーーーそれはどういう・・・・・?
杉井 僕は『アトム』の第一話では原画をやっているんですが、もう忘れもしない僕が描いたアトムのワンカット目です。動画紙に先生の絵でレイアウトがしてあって、「アトム驚く、二秒」と書いてある。で、セリフが横に書いてあって、「アトム、ハッとして」と、アトムの額に汗が流れていてね。それで、僕は「アトムが驚いてハッとなる」カットだということで、驚いた顔の、その前の原画を一生懸命に描いていたんですよ。すると、先生がいきなり後ろにきて、「ギッちゃん、何やってんですか?」と。「その動きはいりません」「は?」「驚きっぱなしの止めの絵でいいです」という話になってね(笑)。
富野 それはすごい(笑)。
杉井 僕は、そのちょっと前まで、東映でフルアニメーションやってますよね。だから、こんなものはアニメになるのかと思いましたよ。二秒間驚いてて、目がパチパチとして、口でパカパカとセリフをいって、汗も動かさない。正直、こんなものはいくらつくったって絶対まともな映像にはならんと思って、それこそ、手塚先生に途中で「こんなものはアニメーションじゃない」といったこともあるんです。そうしたら手塚先生が名セリフ「ギッちゃん、これはアニメーションじゃありません、テレビアニメです」と言ったんですよ。「テレビアニメってどういうことですか」と聞いたら「いや、ギッちゃん、動きを動きで見せていくのがアニメーションだというのであれば、僕は子どもたちに物語を見せたい。その物語を補足するためのアニメーションであればいい。そうするとギッちゃんがやろうとしていたことは、動きの説明にすぎないですよね。歩いてるのに止まっては子どもが見ても変だから、それは歩かせてほしいけど、驚いててセリフがあるところで、こんなアクションというのはいらないんじゃないですか。ですから、そこはもう止めてよろしい」と。そして実際に、音楽が付いてちゃんとできあがったときに、作品になってるのにはびっくりしましたよ。アニメに対するすべての思考がひっくり返りました。なまじフルアニメーションなんかやってた者には絶対に考えられないことだった。プロの盲点というか、もし手塚先生がディズニーのようになりたいと思ってたら、あんな発想はできない。でも逆に言えば、手塚先生が幸いなことに(笑)、ウォルト・ディズニーをアニメーションでは追ってなかったからこそ、『アトム』ができたといえるのではないでしょうかね。
杉井 そもそも僕が東映をやめたのは自分で映画をつくりたいと思ってたからなんで、いまだから言えますけど、映画の演出に関してはね、手塚先生よりも僕のほうがプロだという意識はすごくありましたよ。だから、映画のことを教えるのは僕だと。もちろん、作家としての才能は別ですが(笑)。
富野 いま、ようやくわかった。手塚先生が一度だけ僕のことをほめてくれたことがあるんです。「うん、富野氏のフィルムは品がいいからね」って。その意味が当時は全然わかんなかったんだけど、いまの話で全部わかった。だって僕はフィルムをつなぐときに、先生みたいに杜撰じゃないから。動きの気分を受けて切るとか、アクションカットをどういうときに使うかということは、先生以上にきちんとやったから、それは品よく見えるよと、それだけのことだったわけだ(笑)。
杉井 僕にとって手塚先生が後々までいちばん印象的だったのは、『アトム』なんかで、みんなもうメチャクチャに似ても似つかないアトムを描いたりしても、一度も手塚先生が「キャラクターが違う」と言わなかったことなんだよね。いまのマンガ家さんでしたら、原作と違うとか、僕のマンガと違うとか言いますけど、手塚先生は一度も言ったことがないんです。それが不思議でしょうがなくてね。
富野 言われてみればそうだった。
杉井 ただ、それで段々年数がたってきたら、いや、この人はアニメをまじめにやる気はないからなんだと気づきました。さっきも出ましたけど、当時もうマンガで全部、自分の仕事を仕上げてしまっているから、アニメはもう遊びでいいんだと。僕は正直、恨んで言うのじゃないけれど、アニメに賭けていたわけですから、遊びにつき合わされちゃあたまんないよなというのがありましたね。それは言わなかったですけど。
| 書評 | trackbacks:1 | TOP↑
タモリという役者は髪真黒なのをぴたりと二つに分け、額から顔から全身ぬるぬるに光っていて私は見るや否やマジコンを手に取るや遅しとチャンネルを変えようと必死になる。誰だかが外国にはああいう役者がいるが、日本ではああいうのは層が薄いと書いていたが、薄いにもなんにも一人では層にはならないだろう。
(この後、タモリがドラマで中国人コックの役を演じたことをあげてから)
そのタモリのコックがいい出来で、てらてらぬるぬるの不快(いや)な特質が十二分に発揮された。ドラマをやったのを見たのは初めてなのでわからない。偶然あれがあの役者の適役(はまりやく)だったのかもしれないが、大した出来だった、ということはつまり大した気持ち悪さだったということだ。背中から足の裏まで頭も、全身の皮膚が粟立つ感じになりながらも、その出来を認めないわけにはいかない。いやな役者が出てきたものだ。タモリがああいう役に当たりさえしなければ、こっちの気分は安泰なわけだ。こういうことは言ってはいけないのを判ってはいるが、あの役者をドラマの中で始めて見たのだったらこう毛嫌いすることもなかったろう。
桃井かおりのマネジャーだった、伊佐早敏男という人物が、(桃井かおりほど、幻滅した女優を私は知らない)と発言した。そうしてマネジャーをやめた。私に言わせると、(伊佐早敏男ほど神経の鈍い男を私は知らない)と、言いたい。神経が鈍い。粗雑である。桃井かおりは初めて知ったが、遅刻常習で又、監督に、水の入ったコップを投げつけたこともあるらしい。だがあの、睡そうな、笑った目や、だらしない感じに開く唇元(くちもと)の笑いは、伊佐早敏男が最初に桃井かおりを見たときに既にあった筈である。目のある人間なら最初のひと目で、<桃井かおり>というものを、見てしまう筈である。誰かにコップを投げつけるような奴だ、ということもわかった筈である。常識という紐で、自分を縛って、おとなしくさせているような人物でないことも、わかった筈である。私は昔、吉田茂が、うようよ集まって来て、写真を撮ろうとしたり、下らぬ質問を浴びせる、藪っ蚊のような記者に腹を立てて、コップの水をぶっかけた話を読んで、彼を好きになったことがある。私には新聞屋が、藪っ蚊のようにつきまとってくる、という経験がないが、年中そういう連中にうるさくつきまとわれれば、癇癪を起こして、コップを投げつけない人の方が、不思議である。
メッセージ | |
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ハリウッド・リライティング・バイブル (夢を語る技術シリーズ) リンダ シガー Linda Seger フィルム メディア研究所 フィルムアンドメディア研究所 2000-02 by G-Tools |
コンフリクトにまつわる問題は、小説を脚色する際に、特に頻繁に起こる。ほとんどの小説はダイアローグ主体であり、登場人物の心理へと読者を誘う。我々は小説を読むなかで、登場人物がどのように考えるのか、何を感じるのか、何に価値を置くのか、どう問題に取り組むのかといったことを学び、登場人物の抱く不安感やこだわり、関心事の中から何らかのメッセージを見つけ出す。こういったことが登場人物をより魅力的にし、読者に読む楽しみをもたらすのであるが、映画に翻案する際には問題を引き起こすことになる。小説はリレーショナル・コンフリクトよりインナー・コンフリクトをより頻繁に使う傾向にある。
小説に忠実であるとは
・小説の中で暗示されているに過ぎないコンフリクトを表面化させる
・それぞれのアクトでコンフリクトが明確になるようシーンを再構築する
・コンフリクトがストーリーを通じて1本の筋道を持つよう、それぞれのシーンに質感を持たせる
といったことを意味する。
小説に忠実であるとは
・小説の中で暗示されているに過ぎないコンフリクトを表面化させる
・それぞれのアクトでコンフリクトが明確になるようシーンを再構築する
・コンフリクトがストーリーを通じて1本の筋道を持つよう、それぞれのシーンに質感を持たせる
といったことを意味する。
・それぞれのアクトでコンフリクトが明確になるようシーンを再構築する
・コンフリクトがストーリーを通じて1本の筋道を持つよう、それぞれのシーンに質感を持たせる
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ハリウッド・リライティング・バイブル (夢を語る技術シリーズ) リンダ シガー Linda Seger フィルム メディア研究所 フィルムアンドメディア研究所 2000-02 by G-Tools |
フォーシャドゥイングとペイオフを使うときに情報を巧妙にカムフラージュし、観客の驚きを喚起しただろうか。
回想もまた、多くの場合、劇的ではなく、単に情報をもたらすためのものだ。回想はたいてい、状況やバック・ストーリー、登場人物に関する情報提供のために使われる。よくライターは回想を使ったことを「登場人物についてより多くの情報を伝えようと思い、過去の回想シーンが現在の状況を説明するのに最適だと思った」と説明する。しかし、回想を使ってモチベーションを説き明かそうとしても、うまくいくことは少ない。これにはいくつかの理由がある。まず第一に、モチベーションは登場人物を後押しするものでなくてはならないからだ。回想は、出来事の流れを止めてしまうという性質を持つ。その上、現在よりも、遠い過去にモチベーションを見いだそうとする。(中略)また、回想はディテールを強調するものであり、劇的な瞬間を作り上げるものではない。登場人物の心の奥にひそむ心理を表面化してくれるが、現在の出来事に直接的な影響を及ぼすことはない。
コンフリクトにまつわる問題は、小説を脚色する際に、特に頻繁に起こる。ほとんどの小説はダイアローグ主体であり、登場人物の心理へと読者を誘う。我々は小説を読むなかで、登場人物がどのように考えるのか、何を感じるのか、何に価値を置くのか、どう問題に取り組むのかといったことを学び、登場人物の抱く不安感やこだわり、関心事の中から何らかのメッセージを見つけ出す。こういったことが登場人物をより魅力的にし、読者に読む楽しみをもたらすのであるが、映画に翻案する際には問題を引き起こすことになる。小説はリレーショナル・コンフリクトよりインナー・コンフリクトをより頻繁に使う傾向にある。
Fate/stay night 通常版 TYPE MOON 2004-03-26 by G-Tools |
Fate/stay night 1<通常版> 杉山紀彰 川澄綾子 植田佳奈 ジェネオン エンタテインメント 2006-03-29 by G-Tools |
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