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実は、ルルーシュと泉こなたの足の長さは同じくらい

【コードギアスR2】さすがの俺でも9.5頭身はないと思う

コードギアスの頭身が高すぎるっていう記事。
(頭身が「高い」っていう言い方が正しいのかどうかよくわからないけど(たぶん正しくないけど)、なんと呼べばいいのかよくわからないので、とりあえず、ここでは「頭身が高い(低い)」と書く)


私も前々から、コードギアスのこのCLAMP体型には一言モノ申したい!と思っていた。
R2が始まったら、一言モノ申そうと思っていたんだけど、思いのほか低視聴率だったり、またPS3の谷口監督のサインをシンナーで消してるのに忙しかったりで、すっかり書くのを忘れていたんだけど、この機会に書いておく。


コードギアスの頭身はたしかに高い。顔は小さいし、手足なんかひょろひょろだ。


コードギアスのひょろひょろ感とは、逆に頭がデカく頭身が低いキャラデザインのアニメも存在する。たとえば、らき☆すたとか。
試しに、ルルーシュ(コードギアス)とこなた(らき☆すた)の顔のサイズをほぼ同じにして並べてみると、こんな感じになる。









geasslucky.jpg
ばきゅーーん


顔を同サイズにしてみると、ここまでの身長差になった。ざっと見て、ルルーシュの身長はこなたのそれの2.5倍くらいだろうか。
しかし、こなたの頭がルルーシュのチンコにすら届いていないという事実には驚かされる。



今度は逆に、ルルーシュとこなたの身長をあわせてみよう。本当は男と女だから身長差はあるだろうけど、まあ、そこはあえて同身長で。
つまり、こなたを巨大化させてみる。すると、こうなる。





geasslucky2.jpg
ばきゅーーん2



こうしてみると、こなたがやたらに強そうに見えるのは私だけなんだろうか?
総合格闘技を見ていると、アマレス出身者は背筋が発達している人が多くて、体の厚みが違うなあ、と感じることがよくあるんだけど、こなたのBODYはそれと同じタイプ。
ルルーシュがタックルにいっても、こなたは余裕でがぶりそう。


そして、もう一つ気になるのが、意外にこなたの足が長いところである。
顔の大きさは表面積にして、ルルーシュの4倍くらいデカいにもかかわらず、腰の位置はほぼ同じ。
こなたに対して、足が長いという印象はまったくなかったので、この発見にはちょっと驚かされる。


コードギアスのキャラの手足が長いことには誰でも気づいている。
だけど、らき☆すたのキャラが実は手足が長いことには、あまり気づいていないんじゃないだろうか。少なくとも自分は、この画像を合成してみるまで、ぜんぜん気づいてなかった。
こなたの手足が短い印象があるのは、たぶん頭がデカいからだ。頭との比較、比率で手足の長さをイメージしてしまうために、相対的に短く見えるんだと思う。実際はルルーシュとほとんど同じだったりするのだが。


コードギアスのように、頭が小さく手足が長いキャラデザイン。
らき☆すたのような頭が大きく、手足が短く見えるキャラデザイン。


自分の感覚でいうと、らき☆すたみたいに、頭身が低いキャラに対しては、まるで愛玩動物に接するときのような感情が芽生える。
たとえば、ミニチュアダックスフンドが短い手足でちょこちょこ、ちょこちょこ、ちょこっとsister的に歩いているのはとてもかわいい。思わず頬ずりしたくなる。
頭身の低いキャラに対する感情もそれと同じだ。


そりゃ、C.C.のケツや、カレンの乳には頬ずりしたい。当たり前だ、そんなのは。
しかし、その頬ずりは、あくまでケツや乳といった性的対象に向けられたものであって、犬に頬ずりしたいというような純粋な接触欲求とは違ってるみたいだ。


そして、頭身が低いキャラの最たるものが、たとえばぽてまよとかなのかなあと思う。


ぽてまよ 3 (3) (アクションコミックスもえよん)
ぽてまよ 3 (3) (アクションコミックスもえよん)



ついでなんで、ぽてまよとルルーシュを並べてみた。



geasspote.jpg
ぽてまよが豆粒みたいに小さい。

















geasspote2.jpg




[関連記事]
「巨乳=バカ」説をアニメで検証してみた(1)コードギアス、スクラン
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ツンデレにツインテールが多い理由
平野綾さんのビッチ化路線を阻止する方法を考えてみた


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スクランの沢近の顔がどんどんバタ臭くなってる件

スクランの沢近の顔が徐々に、しかし確実に変貌を遂げているので、ここで報告しておきたい。



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最初のころの沢近さん。素直にかわいいと言える、それが大事。



sa2.jpg
最近の沢近さん・・・・・。





sa3.jpg
最近の沢近さん。これだけ見ると北斗の拳っぽい。



初期型に比べて最近のは、どうも顔がバタ臭い。
(注)バタ臭い。バター臭いの略。西洋っぽい、西洋かぶれの意味で使われる。死語。


スクランのなかで、この沢近ってとても好きなキャラだったんだけど、このバタ臭さには正直、閉口する。受け付けない。


バタ臭い、バタ臭いと、今まで一度も使ったことのない言葉を使いまくっているわけで、この用法が正しいのかどうかすら、実はよくわかっていなかったりするんだけど、まあ、それはさておき、この沢近って、よくよく考えてみれば、イギリス人と日本人のハーフという設定になっているので、顔がバタ臭いのは当然のことだ。


白人の血が流れているキャラが、白人っぽく見えるように描かれているのは、漫画家の努力としてまっとうなものだろう。それはわかる。
だけど、これがかわいいとは思えないのも事実。
初期型のほうが、個人的にはずっと好きだ。


漫画でも、アニメでも、エロゲーでもいいけれども、外人キャラと日本人のキャラの顔がほぼ同じってのはよく目にする。
たとえば、高町なのはとフェイトとか。
(そういえば、そもそもフェイトって何人なんだろう?日本人とか外国人とかいう前に、彼女は人間ですらないような気がするけど)


フェイトが何人かという問題はとりあえず、日本人以外は全部外人という乱暴な論理で片付けることにして、外国人であるはずのフェイトと日本人のなのはは、ほぼ同じ顔で描かれている。
違いといえば、フェイトの髪の毛が金髪になっていることくらいのもんで、もしこれを黒髪にしてしまえば、なのはとフェイトのどっちが日本人でどっちが外国人なんだか見分けがつかない。


それから、もう一つ例をあげておくと、「君が主で執事が俺で」に出てくるメイドの二人は外国人という設定だったんだけど、私がそれに気づいたのは「ウチのメイドは外国人が多いから」みたいなセリフが実際に出てきてからだった。ぜんぜん、外国人には見えなかったし、あの二人。たしかに変わった名前だったけど、なぜか漢字が使われていたので、外国人だとは思わなかった。


君が主で執事が俺で キャラクターセレクト
(このなかで「外人」なのは、右下と左下。上の真ん中は金髪碧眼だけどれっきとした日本人)

もっとも、きみあるの場合はなのは×フェイトとは違って、キャラごとに顔は違ってはいる。目が吊り目だったり、丸っこかったりはする。
だけど、その描きわけは写実性によってるわけじゃない。もし写実性があるのなら、日本人と外国人の区別がつかないなんてことはありえないわけだし。


こういう言い方であってるのかどうかわからんけど、見ている側と絵師のあいだに、暗黙の了解があって、その了解の範囲内で変化をつけているように思える。


初期のスクランもまた、そうした了解の範囲内での絵だったように思う。
沢近は吊り目で描かれてはいたけれど、他の日本人キャラ、天満とか周防とかと比べて、とくに外国人っぽいわけじゃなかった。沢近の外人っぽさってのは、ただ単に髪が金髪として記号的に示されるだけのことだった。


それが徐々に外人っぽい絵になっていく。具体的に言えば、線が男性的、直線的になってる。
これを写実性と呼んでいいのかどうかはわからないけど、たしかに初期に比べればはるかに外人っぽい。


で、最初に書いたように、どうもこれが受け付けない。かわいいと思えない。


髪型、髪の色が違うだけで、顔は全部同じっていうキャラデザインってよくあるし、またそれはよくからかわれたりもする。
だけど、この沢近みたいに、あらかじめ了解された範囲から外れたものって、たとえそれが間違っているわけではなくても受け付けないもんだなあ、と自分で自分の感覚が面白かったので書いてみた。




スクールランブル二学期 沢近愛理 水着Ver. (1/8スケールPVC塗装済み完成品)
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南斗六聖拳 胸像コレクションVol.6 南斗弧鷲拳 殉星 シン
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パンチラはないのにとてもパンチラ的~ToLOVEる、OP、ED解読

アニメにパンチラが出てくると狂喜乱舞して喜ぶ人たちがいたりするが、アレは何なんだろう、と前から思っていた。
二次元美少女のパンツが見られるのがそんなにうれしいのか?


そもそもパンツとは何だ?股間を覆う布切れじゃないか。
たかが布切れに過ぎないものがチラチラとスカートから露出する、そんなものを喜んでいったい何になるというのだろう。バカが。
そうしたバカげた態度が文化の荒廃をもたらすことになぜ気づかないのだろう。


われわれは本当にアニメでパンチラが見たいのか。
そうじゃあるまい。
もっと心を浮き上がらせるもの、もっと感覚が研ぎすまされるもの。そういうものを見たいのだ。


われわれが本当に見たいもの。つまり、それはパンチラじゃなく、乳揺れのはずだ。


[パンツは動かない。動いているのはスカートだ]

パンチラも乳揺れも似たようなものじゃないか、と言われるかもしれない。


まず最初に言っておくが、パンチラと乳揺れはその意味するところが180度くらいは違っている。


パンチラのエロティシズムとは、つまるところ文化、社会的な約束事を前提としている。
まず人間は服を着ているものだという社会的な約束事があり、われわれはいやおうなしにこれを守らなければならない。
服を着るなんて嫌だ、オレは葬式に裸で参列したいと主張したところで認められるはずもない。
こういう社会的約束事が先立って存在しているからこそ、その約束事を破ることに快楽を見出す人間が出てくる。
隠すからのぞきたくなるのだし、スカートで覆われているからパンツが見たくなるのである。
だから、ロザリオとバンパイアみたいに、パンツを見せるのがデフォルト設定のアニメでは、かえってパンチラの効果は半減してしまう。


tolove001.jpg
量産型パンツ


パンチラの本質とはパンツを見せることにあるのではなく、むしろ隠すことのほうにある。
先にパンツを隠すことが重要なのである。
だから、パンチラシーンで主に動いているのはパンツ(欲望の対象)ではなく、スカート(隠すもの、また社会的な約束事)のほうなのだ。


それに対して、乳揺れはどうか?


乳揺れは欲望の対象そのものが動いている。性的物体が動くことによる純粋な視覚的快楽、それが乳揺れだ。
パンチラのように社会的な約束事を前提としているようなみみっちい感覚はそこにない。
原始的で開放的な見ることの喜び、それこそが乳揺れなのである。
パンチラよりももっと乳揺れを!われわれはネットの中心でそう叫ばなければならない。


さて、これからが本題。
ToLOVEるのOPとEDについて。

最近、テレ東並のぱんつ規制を敷いてるTBSの時点で、テレ東で放送したネギま!に近い不安を予感していたものの、見せ方次第でどうとでもなるもんだなあ、と改めて実感させられた、そんな1話。際どいところに次々とアップで迫るオープニングで、スタッフが込めた熱意は伝わってきましたよ。でも、本当に今後もパンチラ無しだと、それはそれで物足りなさが出てくるけど。
「ToLOVEる―とらぶる―」第1話|MOON PHASE 雑記


そもそもパンチラのないToLOVEるはToLOVEると呼べるんだろうか、という疑問がわかないでもない。
しかし、このOPとEDに話を限ってみると、パンチラがないにもかかわらず、これがきわめてパンチラ的な感性によってなりたっていることに気づいたので報告してみる。


まずOPはここで触れられているように、キャラの全体が示された後に、局部にズームアップするという手法で、覗き見趣味的な映像を作っている。



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ララの股間の下に監督名がクレジット。
これって監督の身になってみると、うれしいんだかうれしくないんだか、よくわからん。


OPよりも、もっとパンチラ的なのがED。

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奥のララは静止しているが、手前の丸いのぞき窓のようなのは常に動いている。
欲望の対象(ララ)は止まったままで、それを隠すものが動いているところなんて、もろにパンチラ的な発想だと私は思った。
このOPとEDはパンチラは実際に出てないのに、極めてパンチラ的だ。


これからのToLOVEるがどうエロ展開していくのかってのは、1話目を見た段階では、まだわからない。
しかし、OP,EDで見られたパンチラ的な発想だけでなく、乳揺れ的な動きの快楽をもっと提供してほしいと思う。
ぶっちゃけて言えば、一話目での乳揺れが少なすぎた、ということだ。
コードギアスR2のほうが乳揺れが多かったように感じたくらいなんだけど、こういうのはToLOVEる的にどうなのだろう。
精進を望みたい。
まあ、ToLOVEるにはコードギアスにはない乳揉みがあったけども。

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美少女も時に迷惑なことがある-撲殺天使ドクロちゃんがクソおもしろかった

最近、撲殺天使ドクロちゃんっていうアニメを見たんだけど、これが面白かった。というか、おもしろすぎた。
今までこのアニメを見ないでいたってのは確実に人生の何割かを損していたんだなあ。
損していることにすら気づかないまま、人生を過ごすところだった。あぶない、あぶない。


[ストーリー]
どこにでもいるごく平凡な一人の中学二年生、草壁桜の前にある日突然現れたのは、自らを天使と称するロリロリ美少女、ドクロちゃんであった。
それからというもの草壁桜の生活は一変、ドクロちゃんのせいでめちゃくちゃになってしまう。そしてついに天使の少女は桜くんが通う『聖ゲルニカ学園』にまで、ついてきてしまうコトに。(公式サイト)



こんなふうに、ある日とつぜん、美少女につきまとわれることになって、主人公(男)が迷惑がってるっていうパターンはよくある。
古くはうる星やつら、最近だとハルヒとか。
ああいうのって、主人公は「迷惑だ、迷惑だ」言って不快がってるけど、読んでるこっちとしてはそれがぜんぜん迷惑に見えない。
というか、そんなふうに美少女につきまとわれるなんてうらやましくて仕方がねーぞ、コノヤローって、いつも思う。

このアニメでも、そのパターンがくりかえされ、主人公の


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草壁桜は




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ドクロちゃんのことをたいへん迷惑がっている。



ある日、いきなり美少女と同居という萌えアニメの文脈にのっとっているにもかかわらず、このドクロちゃんだけは、さすがに迷惑だと思った。
なぜかというと、



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偶然、着替えを見てしまったら、





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撲殺される。





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後ろにお化けがいる、と軽い気持ちで驚かせたら、



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ロープに振られ、



返ってきたところを

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撲殺される。


こんなふうに、主人公は毎回、毎回、撲殺されてるわけで、さすがにこれはまったくもってうらやましくない。
美少女につきまとわれる男に、同情を寄せることができたのは生まれて初めて。


このアニメは、こういう撲殺とかの残虐ネタ、


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エロネタ(風呂に一緒に入ったらなぜかローションをかき混ぜ始めるの図)などの下品なギャグでいっぱいなんだけど、この笑いの感覚っていかにも中学生っていう感じがする。
実際、このアニメの登場人物は中学生なんだけど、そういうことじゃなくて、笑いのセンスが中学生的ってこと。


中学のときに、同級生にどこにでもマ○コマークを書いては喜ぶヤツがいたんだけど、中学生ってそういう禁じられたものを侵犯することが楽しい年頃なんだと思う。
今まで、自分たちの目の前から隠されていたものをむりやり暴いてみせること。
その侵犯行為じたいを面白がってしまうっていう。
もっとも、ウチの中学(公立)は普通に学級崩壊とかしてたようなところなんで、そういう中学生像はあまり一般的ではなかったりするのかもしれないけど。
音楽室なんかは、ほぼすべての机にマ○コマークが書き込まれてたから。
そういう(自分にとっての)中学生的なハチャメチャさがこのアニメにはあって、そこが大好き。


それと、全体的にとてもよく動いてる。


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ギャグアニメ的にデフォルメされていたりはするんだけど、視覚的に引っかかりを感じさせる映像になってて、退屈しない。


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また撲殺シーンを静止させてみると、こんなふうに飛び散る内臓、眼球まで書き込まれてたりもするし(普通に見てたら、こんなに書き込まれてることにはまず気づかない)。
それに、2(セカンド)のほうだとヤマカン演出の回もあったりする。
下品なギャグをこんなに豪華に?っていう、資源の無駄遣いというか、労力の無駄遣いも愛さずにはいられないポイント。



また、エロギャグが多いこともあって、声優がエロセリフ言わされてるのも、そのスジの人にはたまらんところかも。
能登麻美子が「(恥じらいながら)前立腺」って言わされてたり、


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釘宮理恵のセリフに「このままじゃ今夜は熱くて、火照って、切なくて、眠れないかもぉ」ってあったりとか。


ちなみに、このアニメのなかでいちばん好きなシーンは、サバト(釘宮理恵)が廊下でバケツにけつまづいてスベり、



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「つべたいですぅ(冷たいです)」って言うところ。

ここが、ありえないくらいかわいい。
どれくらいかわいいかって言うと、ここの部分を録音して、宇宙探査船に積み込んで、まだ見ぬ宇宙人へのメッセージにしたいくらいかわいい。
宇宙人も「つべたいですぅ(冷たいです)」っていうメッセージ送られたところで、なんのこっちゃワケわからんとは思うけど、なにかしら伝わるものがあるんじゃないかと思う。


また、このアニメのOP曲は電波ソングとして有名らしいんだけど、たしかにこれは一回聞いたら耳にヘドロのように残る。
ついつい「撲殺天使ぃ、血しぶきドクドク、ドクロちゃ~ん」って口ずさんじゃってたりして、最近、周りから非常に気味悪がられてる、そんな毎日です。


B000A869SY撲殺天使ドクロちゃん 4(通常版)
千葉紗子 高木礼子 釘宮理恵
ジェネオン エンタテインメント 2005-09-22

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ギャルゲーに三角関係が出てこない不思議

いくつかギャルゲーをやっていて気づいたんだけど、どうもギャルゲーには三角関係が出てこないような印象がある。

もちろん、まったく出てこないというわけじゃないんだけど、かなり少ない。
主人公の男を二人の女が奪い合うというのはわりとあるけど、男二人が女一人を奪い合うという形の三角関係があまり見当たらない気がする。

アニメ化されてるということで話に出すのがちょうどいいと思うんで、ここではクラナドを例にとってみる(原作は未プレイだけど)。

このなかで三角関係らしきものは、藤林 杏、椋の双子と岡崎のあいだでしか成立してない。
まあ、岡崎、春原、渚の関係も三角関係といえないことはないけど、渚のなかで春原は確実に恋愛対象には入ってないだろうから、これは三角関係として成り立ってない。

あらためて言うまでもなく、恋愛もののフィクションにおいて三角関係ってのはとてもポピュラーなものである。

たとえば、この漫画。


タッチ (6) (小学館文庫)


タッチのなかでは執拗に三角関係が繰り返される。


まず、最初にあるのがこの三角関係。

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しかし、双子で幼なじみを取り合うってのは、とてもドロドロした話だと改めて思う。
このドロドロってのは、昼ドラ的なドロドロなわけだけど。
それが、ああいう軽い読後感をもたらしてるのを考えると、やっぱあだち充ってスゴい。
あえて、軽いところにとどまってみせるっていうのは、当時の時代性もあっただろうけど、この漫画家の特質でもあったんだろう。
この軽さって真似しようとしてもできるもんじゃないんで、こういうのを才能とか呼ぶんだろうなあ。

あだち充がいかに天才かという話はとりあえず置いておくとして、三角関係の話。

和也が交通事故で死んで、三角関係の一つが欠けてしまう。
すると、その欠けた一点は必ず補われなければならないとでもいうように、すぐさま新田がこの三角関係に入ってくる。

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つまり、この長い青春物語の大部分で、この三角関係は継続されてる。
そして、逆の視点から見ると、こういう三角関係もなりたっている。

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ここではタッチにおける三角関係を見てみたが、他の恋愛もののフィクションにおける三角関係には、たとえば、以下のようなものがある。


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このほかにも三角関係なんてはいて捨てるほどあげられるだろう。

一人の人間を二人で取り合うことによって、人物間で闘争が生まれ、内面で葛藤が生じる。
嫉妬やいらだちや焦りを通じて、登場人物のなかで恋愛感情が強められる。

だから、男二人で女一人を取り合うという図式の場合、その女の価値というのは三角関係の効果によって高められる。

たとえば、浅倉南というヒロインはそのままでもたしかに価値が高いだろう。
だけど、和也、新田という、男たちに求愛されることで、よりその価値を増しているといえる。
まあ、需要が高いから価格も高くなるっていうやつ。


ドラマを転がしやすく、またヒロインの価値を高められるから、三角関係が多用されるんだろうってことは、容易にわかる。

だけど、それなら、これだけメリットのある三角関係をなぜギャルゲーは描こうとしないのだろう?不思議。

だけど、これ、少し考えてみたら簡単にわかった。

ギャルゲーの構造ってのはこうなってる。

sankaku007.jpg


ヒロイン、一人一人のルートは独立していることになってるけど、主人公の男はどのヒロインに恋愛してもかまわない。
こういう複数の時系列が並列してるなかで、三角関係を描こうとすると変なことになる。
まあ、女二人が主人公一人を取り合うという形は簡単にできるけど、男二人、女一人パターンは難しい。

もしここに主人公のライバル(恋敵)の男がいたとして、これを仮に新田とでも名づけておくことにする。

そうすると、A子のルートで新田と主人公がA子を取り合うストーリーがあったとすると、この新田はB子ルートではライバル(恋敵)としては使えない。
なぜって新田はA子を好きだという設定になってるはずであるから。
「お前はA子を好きだったはずなのに、なぜB子のことも好きになってるんだ?」という、矛盾が生まれてくる。新田は無節操なやつだ、てなことになる。
まあ、無節操といえばギャルゲーのプレイヤー自身がそうなのであるけど、仮に自分が無節操であったとしても、他人の無節操はやたら目につき不快なもんだ。

だから、男二人、女一人の三角関係をギャルゲーで使うには、そのルートごとに、男の新キャラを登場させなければいけないことになって、これはまずい。
ルートごとに、新キャラが出てくるのって、明らかに変だから。

こういう構造上の理由で、ギャルゲーのなかでは三角関係(男二人、女一人)が描かれないんだろうことはわかる。
だけど、三角関係を描けないことによる弊害ってのは確実にある。
主人公のなかで恋愛感情が高まっていく過程が描きにくいってことと、ヒロインの価値を高められない、というこの二つだ。

で、これを解決する発明ってのが、「ヒロインの過去」なんじゃないかなと思うのだ。

ギャルゲーのなかでは、ヒロインが過去になんらかのトラウマを持っていて、それを解決することで、主人公との恋愛も成就、みたいなパターンがよくある。
クラナドで言えば、一ノ瀬 ことみがその典型。
それと、風子もそうかもしれない。

彼女たちは過去になんらかの葛藤を持っていて、それを主人公と一緒に解決していく。
その過程で、過去を共有するわけだし、そして、そのことによって主人公は彼女らをかけがいのない存在であると認識する。
つまり、ヒロインというものに、過去の時系列を背おわせ、それを共有することによって、二つの問題点を解決してるように見える。

実は私はこのパターンがとても苦手で、これが出るたびに「うわっ、また過去のトラウマ出てきたッ!」とウンザリしてはスキップしちゃうんだけど、個人的な好き嫌いは別として、これはとても優れた発明なんじゃないかとは思う。
私はともかく、多くのプレイヤーには、ちゃんとこの効果が機能しているのだろうしね。

ちなみに私はKeyのゲームでプレイしたことがあるのって、Airだけなんだけど、このゲームのなかでは、このパターンが大げさなまでに展開され、しかもそれが結局のところ成就できないというところがとても面白い。

観鈴という病気がちの少女とつきあっていくと、いきなり平安時代と思しき過去に飛ばされ、過去でのいきさつが語られる。
その後、現代に戻ってくると、主人公はなぜかカラスになってて、物語に参加することすらできない。
主人公、そして私たちは傍観者としてただ物語が流れていくのを見ていることしか許されないまま、ヒロインの観鈴は死んでしまう。
これはギャルゲー的なストーリー展開を踏襲したまま、ギャルゲー的な願いがかなえられないという、大いなる喪失の物語だと思った。
この感覚って、村上春樹の小説に近いような気がする。
他の二人のルートは正直、退屈だったんだけど、観鈴ルートだけは泣きまくってた。涙腺がふやけるんじゃないかってくらい。




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