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北京オリンピック雑感:最近のスポーツ選手がかわいいわけ

北京オリンピックで、日中韓の女子選手を見比べてみると、たいがいの種目において、日本人がいちばんかわいい。


たぶん、資本主義が成熟していくと、女子スポーツ選手がきれいになっていく法則みたいなのがあるんだと思う。


中国が典型的だけど、資本主義が未熟な段階では、スポーツ選手というのは、国家の威信を担っている。金メダルをとるのは国威発揚のためだ。
中国人選手には、見た目なんて気にしてられない、ただ、スポーツにしゃかりきになってる感があるけど、昔の日本もあんなんだったんだろう。たぶん。


だけど、日本のように資本主義が成熟して、イメージの差異を商品化していくような高度資本主義社会になっていくと、今度はスポーツ選手というのは、商品イメージの宣伝マンみたいな役割に変化いくんだろうなー。なんてことを、思いながら見てた。


あと、日本のバドミントンのユニフォームはかわいすぎだった。アレは何かの陰謀だと思う。




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ダイアモンド☆ユカイのブログが難解すぎる

どういう風の吹き回しなのか自分自身にもわからないけど、ダイアモンド☆ユカイのブログを読んでみた。
あらかじめ断っておくと、特にファンということではない。ただ、テレビで顔見たことがあるなっていう程度。


ダイアモンド☆ユカイオフィシャルブログ「ユカイなサムシング」


6月29日の「おいっ☆スタート」とタイトルがつけられた記事を読んでみる。


おいっ☆スタート


Hello!サムシング



JETだ!

ワン

OK!


(この下に牡蠣の料理らしい写真が載せてある。)




あれ?意味がまったくわかんねぇんですけど。
わかるのは「この人は牡蠣を食ったんだろうな」っていう、そこだけだ。


コメントが80くらいついてたので、それを読んでみると「いみがわかんない」「なんだろう わかんない ワン (・・?)」などのコメントが並んでる。いつも読んでるはずのファンの人たちにすら伝わってないみたいだ。


そのうちコメント欄に


「最初は

???でしたがタイトルがダジャレなんですね。

牡蠣を食べたってことかな。」なる謎解きをする人があらわれ、「なるほど、『おいっ☆スタート=オイスター』ってことか」と、そこまではわかった。しかし、わかったのはそこまでだ。
「JETだ!ワン OK!」の部分がいぜんわからない。難解だな、しかし。


この記事のほかにも、これなんかも、よくわからん。


Oneだね


Hello サムシング!



想像してごらん・・・


世界がひとつになるってことを・・・



それはきっと・・・・




One だね 1


OK!

(メロンパンを握って微笑むユカイの写真)



ジョン・レノンのイマジンを元に文章を書いてることだけはわかる。ただ、「世界が一つになることがOneだね」のくだりはぜんぜん理解できない。OK!っていわれてもなあ。


これまた、「わかんねー」ってコメントが多数ついてるんだと思って、コメント欄見てみると、「one いいですよね。自分の周りにいてくれる人とoneになることから初めてみます。」「ONE OK!」「ワン いい言葉に思えてきた( ̄∀ ̄)」など賛同の声多数。
あれ?みんな理解できてるの、これを。こんなのを?


果ては

「one、素敵です^^

初めは小さくてバラバラなoneでも、みんな気持ちが同じならいつか大きなoneになるはず^^
合言葉は「oneだね」だね^^」


なんて、屋根の上に屋根をかぶせる人や


「その通りです*゜。

仲良くなれない国同士にうんざりしますね。
先進国に産まれて良かったッて思うことは多くても,先進国に生まれて良かったのかって思うこともふとありますから。
自らの過失を認めて受け入れれば良いだけの話なんですけど。」


のように、南北問題に切り込む人まであらわれるという予想外の展開。


これはアレか。私が一見さんだから、理解できないだけで、ファンのあいだではちゃんと「One」という言葉がなにかしらの有意味な言葉として流通しているのか。
なんだろう?この疎外感。「火の鳥 宇宙編」読んだときみたいな、そんな疎外感。


[追記]このブログを読んで、ダイアモンド☆ユカイがシャナと同じくらいのメロンパン好きということはわかった。しかし、わかったのはそこだけだ。



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今までインターネットで見たなかでもっとも気持ち悪かったグロ画像

別にグロ画像を載せたりしてるわけではないんですけど、こういうのはやっぱり不快に思われる方も多いと思うんで、折りたたみにしてみました。


記事単位で読んでる方のためには改行多くして余白をとってます。


たぶん、確実に不快な気分にさせてしまうと思うので読みたい人だけ、どうぞ。

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タモリは本当にお昼向きなのか?-森茉莉のタモリ評

ベスト・オブ・ドッキリチャンネル (ちくま文庫)
森 茉莉
448002932X


この本は森茉莉が週間新潮に1979年から1985年にかけて連載していたコラムを、中野翠が編集したもの。
内容はテレビ評が多く、また毒舌なため、まるでナンシー関のコラムを読んでるような気分になる。
ただ、さすがに20年以上前なんで、知らない芸能人、有名人がかなり出てくる。
たとえば、貴ノ花の名前が出てくるが、これは同じページに大鵬の名前も出てくることで明らかなように、松村が物まねしてるあの貴ノ花ではなく、先代の貴ノ花のこと。
いや、まあ時代を考えてみれば当たり前なんですけどね。

あ、言い忘れてたけど、この森茉莉っていう人は、小説家で森鴎外の娘。

ところで、この本の最初のほうに、タモリについて書かれた文章があって、それがとても面白い。


タモリという役者は髪真黒なのをぴたりと二つに分け、額から顔から全身ぬるぬるに光っていて私は見るや否やマジコンを手に取るや遅しとチャンネルを変えようと必死になる。誰だかが外国にはああいう役者がいるが、日本ではああいうのは層が薄いと書いていたが、薄いにもなんにも一人では層にはならないだろう。
(この後、タモリがドラマで中国人コックの役を演じたことをあげてから)
そのタモリのコックがいい出来で、てらてらぬるぬるの不快(いや)な特質が十二分に発揮された。ドラマをやったのを見たのは初めてなのでわからない。偶然あれがあの役者の適役(はまりやく)だったのかもしれないが、大した出来だった、ということはつまり大した気持ち悪さだったということだ。背中から足の裏まで頭も、全身の皮膚が粟立つ感じになりながらも、その出来を認めないわけにはいかない。いやな役者が出てきたものだ。タモリがああいう役に当たりさえしなければ、こっちの気分は安泰なわけだ。こういうことは言ってはいけないのを判ってはいるが、あの役者をドラマの中で始めて見たのだったらこう毛嫌いすることもなかったろう。


要するにタモリが気持ち悪い、ただただ生理的に受け付けないということを書いている。
まあ、誉めてもいるのだけれど。

タモリと言えば、みのもんたと並んで、お昼の顔、と世間一般にみなされているわけだけど、もともとのタモリは決してお昼向きじゃない、というか、お昼には最も不向きな人間の一人と思われていたんだろうなー、なんてことがこの文章から察せられる。

タモリが出てきた当時というのを私は知らないので、確かなことはいえない。
だけど、この森茉莉の文章や、また4ヶ国語麻雀、寺山修司の物まね、イグアナなどのタモリの持ち芸を考えるに、この人はマニアックで通好みな、どちらかといえば深夜番組向けの人だとみなされていたんだろう。決して一般受けするような人ではないと。
どこで読んだかは忘れてしまったけど、そういう趣旨の文章を読んだ覚えがあるし。

それが、笑っていいともという帯番組に起用されたときというのは、昼という健全な時間帯にタモリを出すという、ミスマッチな感覚があったんじゃなかろうか。
だいいち、オールバックにサングラスという、異様な格好の人間が毎日、昼の12時に陽気な音楽とともにテレビに登場してくるっていうのは、考えてみれば、相当にヘンである。
我々は慣れてしまっているのでなんとも思わないけれども、たとえば日本についたばかりの外国人がいいともを見たら、かなりの違和感を感じるんじゃないか。

その笑っていいともは、26年もの長きに渡って続けられ、もはや我々はこの番組について何も思わないし、何も感じないという境地にまでいたっている。
いいともは面白いのかつまらないのか。
そんな問いはとっくの昔に忘れ去られかえりみられることもない。
いいともは我々の前にただ存在している。
空気の存在について、我々が思いをめぐらすことが少ないように、いいともについて思いをめぐらすものもまた少ない。
ただ、ただ、笑っていいともはそこに存在している。

この森茉莉の文章を読んで、自分が当たり前だと思っていたものが、そもそもの最初は当たり前ではなかったという感覚に気づいて、なんだか面白かった。

ところで、タモリと同じくみのもんたも実はお昼向きじゃないように私は感じている。
だって、真っ黒に日焼けしたみのもんたを見ると、私はなぜかAV男優の日焼けを思いだしてしまうのだ。
つまり、日焼けというのがそのまま「精力」みたいな概念と直結してるようなイメージというか。
まあ、これは勝手な感想だけど。

自分が思うに、本当にお昼の顔にふさわしいのは大和田獏ではないかと。
あの人畜無害な笑顔こそがお昼という、弛緩した時空間にふさわしい。そう思う。
これは、ただ単に私が、お昼にテレビつけるときは、ワイドスクランブル見てるってだけの話だが。

あと、この本のなかで面白かったところはここ。

桃井かおりのマネジャーだった、伊佐早敏男という人物が、(桃井かおりほど、幻滅した女優を私は知らない)と発言した。そうしてマネジャーをやめた。私に言わせると、(伊佐早敏男ほど神経の鈍い男を私は知らない)と、言いたい。神経が鈍い。粗雑である。桃井かおりは初めて知ったが、遅刻常習で又、監督に、水の入ったコップを投げつけたこともあるらしい。だがあの、睡そうな、笑った目や、だらしない感じに開く唇元(くちもと)の笑いは、伊佐早敏男が最初に桃井かおりを見たときに既にあった筈である。目のある人間なら最初のひと目で、<桃井かおり>というものを、見てしまう筈である。誰かにコップを投げつけるような奴だ、ということもわかった筈である。常識という紐で、自分を縛って、おとなしくさせているような人物でないことも、わかった筈である。私は昔、吉田茂が、うようよ集まって来て、写真を撮ろうとしたり、下らぬ質問を浴びせる、藪っ蚊のような記者に腹を立てて、コップの水をぶっかけた話を読んで、彼を好きになったことがある。私には新聞屋が、藪っ蚊のようにつきまとってくる、という経験がないが、年中そういう連中にうるさくつきまとわれれば、癇癪を起こして、コップを投げつけない人の方が、不思議である。


沢尻エリカはちょっとばかし態度が悪かっただけ、倖田來未はちょっとばかし口が悪かっただけのようにしか私には見えないんだけど、あの程度でも涙を流して謝罪してるのを見ると、なんとも詰まらない世の中だ、という気分になる。

うさを晴らすために、久しぶりにこのアルバムを聞いてみるか。

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↑えっと、念のために言っておきますが、このアルバムをオススメしているのは、完全に冗談ですので、間違っても買わないでください。

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バガボンドについて、ちょっと反省

前回の記事
人間、この壊れやすいもの ガンダム00第18話感想

この記事、ガンダム00を見た直後に勢いに任せて書いてみたら、ちょいとばかし勢いがつきすぎてしまってたみたいです。まるで、坂を転がる石みたいに(反省)。

なにしろ、今、読み返してみたら、この文章ってバガボンドよりもガンダム00のほうが、リアルで暴力的だ、と主張してるように見えてしまいます。
バガボンドよりもガンダム00のほうがリアルで暴力的・・・・・そりゃないわ。
いや、いや、いや、さすがにそれはない。

明らかに、バガボンドのほうがずっとリアルで暴力的です。
バガボンドのなかでも腕が切り落とされるシーンがあるわけだし。

ただ、バガボンドって「リアルで暴力的」を意図して描かれているからこそ、その限界が見えてしまう漫画だな、って前から思っていたのは事実です。

たとえば、「強敵と死闘を繰り広げることで物語を盛り上げる」っていうバトル漫画の文法を使ってしまっているせいで、結果的に武蔵が壊れにくい肉体を持った超人的な人間として描かれてしまってるところとか。

ここらへん「倒れても倒れてもあきらめずに戦い続ける」という、これまたバトル漫画の文法に則っていた矢吹丈がその肉体を崩壊させていく痛ましさと比べるとその対比が明らかになると思うんですけど。

こんなことを書くと、バガボンドが嫌いなのかと誤解されそうですけど、まあ、そりゃ誤解です。純度100%の。
私はバガボンドは傑作だと思ってるので。
つーか、原作の吉川英治の宮本武蔵よりもずっといいと思ってます。

ただ、私のバガボンドの見方ってのが、どうも他の人とはぜんぜん違うらしい。
吉川英治の宮本武蔵から、井上雄彦は相当の変更点を加えているんですけど、そこが自分には面白かったりします。
簡単に言えば、吉川英治の宮本武蔵よりも、井上雄彦の宮本武蔵のほうが好き。
だけど、吉川英治的な宮本武蔵の成分がバガボンドには残っている。
それは私の眼には余分なものとしか映らないんですけど、そこを賞賛してる人ってかなりいるんですね。その感性の違いに驚きました。
つーか、たぶん違っているのは確実に私のほうなんでしょうけど。

なので、今度、それを書いてみようかなー、とは思ってるんですけど、まあ、書かなかったりするんだろうなー。
異常な長文になっちゃうので、誰も読んでくれなさそうだし。



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