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NHKにようこそ!を見ていて思いっきり勘違いした話

海外アニメファンの疑問「アニメのキャラっていつも同じ服だよね」お茶妖精

これを読んで、そういえば昔、アニメキャラがずっと同じ服を着ていたために、すさまじい勘違いをしたことがあったな、ってことを思い出した。

実は、この勘違い話はかなり以前に一度書いていたりするのだけれど、改めて読み返してみたら、なんか恥ずかしかった。
とても恥ずかしかった。

昔、書いたものを読み直すといつも羞恥心に襲われるのはこれ不思議。
答え:いつも恥ずかしい文章書いてるせい。

過去の文章を紹介すると恥ずかしいってのと、それからちょっと付け加えたいことがあったんで、もう一回書いてみます。


これはNHKにようこそというアニメを見ていたときの話。

N・H・Kにようこそ! ネガティブパック<オリジナル無修正版> 第6巻

まず最初に言っておくと私はこのアニメの事前情報をほとんど知らなかった。
知っていたのは小説が原作で引きこもりが主人公だということくらい。
だから、ストーリーがどう展開していくのかまったくわからない状態だった。
視聴していたのがそういう状態だったってことは留意していただきたい。

ここで簡単にこのアニメのストーリーを説明しておく。

佐藤という引きこもりの青年の前にある時、中原岬という謎の美少女が現れる。
どういうわけか岬は佐藤を引きこもりから救い出そうとして色々世話を焼くが・・・・。


こんな感じで序盤は展開していく。

この中原岬はアニメの序盤でいつも同じ服を着ていた。
黒と黄色のロンT。

misaki.jpg

男の佐藤(しかも引きこもり)ですら、服を代えていたりするのに、この中原岬はいつも一緒の服。
正確に言えば、最初の登場シーンでの服装は違っていたりするんだけど、それ以外ではいつもこの格好をしていた。

年頃の女の子がいつも同じ服装ってのは明らかに不自然。

で、私はこう思った。

「ははーん、これは何かの伏線だな」と。

考えてみればこのアニメは「引きこもりの前にある日突然、美少女がやってくる」という現実ではまずありえない話なのだ。

そして、このアニメの序盤では中原岬が喋るのは佐藤だけだった。
佐藤の隣人である山崎と中原岬が会話するシーンはない。

そして、もう一つ付け加えると、佐藤は引きこもりが嵩じてありえない妄想にふけるシーンが最初にあったりする。


さて、こうした要素から、このアニメのこれからのストーリーを推理してみよう。
(NHKにようこそのストーリーを知っている人はたくさんいるだろうけど、ここは視聴当時の私になったつもりで考えてください)

1中原岬はいつも同じ服を着ている。

2中原岬は佐藤以外の人間と会話するシーンがない。

3佐藤はよく妄想している。



これらの要素から導き出される結論はただ一つ。

中原岬という美少女は佐藤の頭のなかにしか存在しない少女だ、ということである。

つまり、佐藤は妄想のなかで中原岬という自分にとって都合のいい美少女を作り上げてしまったのであり、中原岬は現実には存在していない。
だから、服装も変わらないのだし、佐藤以外の人間(たとえば山崎)と会話したりもしないのである。

ビューティフル・マインドという映画がある。
この映画は実在の天才数学者、ジョン・ナッシュの半生をもとにしている。

ビューティフル・マインド

この映画もまた、私は予備知識なしで見ていた。

このジョン・ナッシュという人は統合失調症を患ってしまうのだけれど、映画のなかではその発症する過程が描かれている。
映画だけあって、実際の統合失調症とはかけはなれている描写らしいのだけれど、予備知識(ジョン・ナッシュが統合失調症にかかったこと)なしにこの映画を見ていると、映画のなかで起こっていることが主人公の妄想なのか現実なのか、最初のほうはよくわからない。
たとえば、CIA(だったと思う)から、ジョン・ナッシュは暗号解読の仕事を引き受けるのだけど、これが現実なのか妄想なのかわからない。

どっちが現実なのだろう、って混乱する。
そういう効果を狙って、この映画は作られているんだと思うのだが、NHKにようこそもそうしたタイプのストーリーなのだな、と私は推理したのである。

つまり、NHKにようこそというこのアニメは佐藤の妄想を描いているのだと。

そして、そういうストーリーなのだと思ってこのアニメを見ると、これがとんでもなく切ない。

何気ないシーンでも心に響く。胸を打つ。

一緒に歩いて会話している、その相手が幻でしかないのだから。

udekumi1.jpg
「ねえ、佐藤くん、腕組んでみよっか」

udekumi2.jpg
この、ぷにゅっとした感触は!!!

udekumi3.jpg


腕組みをしてみたら彼女の胸がヒジに当たってドギマギする、っていうなんてことはないシーン。
しかし、岬ちゃんが佐藤の妄想にしかすぎないのだと思うと、このありふれたシーンが切実に悲しい。

おそらく、このアニメのエンディングは中原岬が佐藤の妄想であることが明らかになって終わるのだろう。

それを想うとそれだけで泣けてくる。
楽しかった岬ちゃんとの日々。
しかし、それは自分の作り出した妄想でしかなかった。
その事実にやっと気づく佐藤。
驚愕、悲嘆。
そして今まで立っていた地面が崩れていくような絶望感。

このエンディングの悲しさってのは半端無い。

こんな感じで、このアニメの序盤、私は自分勝手にエンディングまで想像して、涙をこらえながら見ていたのである。

が、ご存知の通り実際のストーリーはこんなじゃない。


中原岬は実在する!

中原岬は実在する!

中原岬は実在する!


そう、岬ちゃんは実在してた。

ある程度、話数が経過してみると中原岬が山崎と話をするシーンも出てくるし、違う服を着て登場してきたりする。

つまり、岬ちゃんは佐藤の妄想の産物なんかではなく、ちゃんとした人間らしい(ちゃんとした人間っていう表現もどうかと思うが)。
しっかりと中原岬は実在してるらしいのだ。

なんなんだよ、一体。

「岬ちゃん=妄想」説に流した私の涙を返してほしい。

まあ、それは勝手にこっちが妄想してただけだけどさ。
だけど、本当に悲しいお話だったのだ、妄想版「NHKにようこそ」は。


・・・・・・と、このようにアニメキャラが同じ服を着ていたために思いっきり勘違いしたことがあった。

ところで、このNHKにようこそというアニメはとても面白かった。
後半、作画が崩れて酷かったりはしたけれど私は大好きだった、このアニメ。

なので、それから原作の小説を読んでみた。

NHKにようこそ! (角川文庫)


感想を言うと、これも面白かった。

最近、自分の誉め言葉のボキャブラリーに「面白い」と「スゴい」しかストックされてないことがわかって愕然としてたりするんだけど、一言でいえばこの小説はスゴく面白かった。

そして、小説を読んでみてわかったのは、アニメを見ていて私が思いっきり勘違いしたのもちゃんとした理由があるんだなってこと。

というのも、この小説って私小説の要素とライトノベルの要素を合体させて作られているのだ。

佐藤という主人公が引きこもりで将来に何の希望も持てずにいる、っていうところは私小説的な部分。
アニメでは描かれなかったけれど、小説のなかでは佐藤がクスリをやるシーンなんかもあったりする。
ここらへんも私小説っぽい。

で、岬ちゃんという美少女がある日、突然、主人公の前に現れるっていうのはライトノベル的な部分。
ライトノベルで、いきなり非日常的な美少女が現れるっていう展開はありふれてるし。

そして、私小説とライトノベルでは「人間観」みたいなものが違う。

私小説で、「彼女はずっと同じ服を着ている」なんていう描写があれば、それは貧乏であるか汚ギャルであるかのどっちかだが、ライトノベル的な世界ではずっと同じ服を着ていてもさほど不思議じゃない。
そういえば、シャナは炎で浄化されるから風呂に入る必要もないし、服を着替える必要もない、ってな描写があったような気がする(うろ覚えだけど)。

この人間観についてもう少し付け加えると、私小説で
「憧れてた女と性交してたら、彼女が風呂に入らない女で体臭がキツく幻滅した」
ということを書くのは全然アリだ。
実際、こんな陳腐なことを書くかどうかという選択肢はあるけれども、とりあえず、こういうことを書くのに支障はない。

だけど、ライトノベルで
「憧れてたシャナと性交したら、思いのほか体臭がキツく幻滅した」
と書くことはありえない。
というか、そもそも「シャナと性交」っていう時点でアウトなわけだが。

さて、アニメのNHKにようこそに話を戻す。

既に述べたように私はこのアニメについての事前情報をほとんど持っていなかった。
そして、一話目を見たら、最初のほうで引きこもりの佐藤の妄想話がえんえんと繰り広げられていた。

たぶん、ここで混乱したのだ。
「このアニメはひょっとして私小説的なアニメなのか」って。

私小説的なアニメなんていままで私は見たことがない。
私小説的なマンガなら知ってるけど。

しかし、主人公が引きこもりってことは私小説的な展開があってもおかしくはないだろう。

次に謎の美少女、岬ちゃんが登場してきて、しかも彼女は服を替えないというライトノベル的な存在。

そのちぐはぐさに「中原岬は佐藤の作り出した妄想」という”私の妄想”が始まってしまったのだと思う。

実際は私小説とライトノベルの合体技であって、それに私の脳みそがついていかなかった、ってだけの話なんだけども。

ついでに書いておくとこの作品は、ライトノベル的存在として現れた中原岬に実は私小説的な内面が隠されていた、というストーリー展開で終わっている。
つまり中原岬も佐藤と同じ私小説的な存在である、っていう結論になっている。

*小説のなかで、中原岬はファッションに金をかけない、という描写があったので、アニメでずっと同じ服を着ていたのは、それを表現したものかもしれない。
だけど、ファッションに金をかけないってのと、ずっと同じ服を着てるってのはぜんぜん違うと思うけどなあ。
私も服に金をかけるほうじゃないけど、さすがにずっと同じ服を着てたりはしないし。

それからNHKにようこそのアニメDVDのジャケ写って、実際の作品と思いっきりイメージがずれてないか?

N・H・Kにようこそ! ネガティブパック<オリジナル無修正版> 第10巻

N・H・Kにようこそ! ネガティブパック<オリジナル無修正版> 第3巻

N・H・Kにようこそ! ネガティブパック<オリジナル無修正版> 第4巻

N・H・Kにようこそ! ネガティブパック<オリジナル無修正版> 第7巻

いや、何を狙ってるのかは分かりますよ。

わかりすぎるほどよくわかる。
けど、実際の作品のイメージとはぜんぜん合ってないんだけど。
恐ろしいくらい合ってないんだけど。

[つけたし]
勘違いだと思ったら実は超鋭い洞察だった話

猫は勘定にいれませんさんがこれに関連して書いてくれた文章。
滝本竜彦氏には脳内彼女と会話する内容の小説があるそうです。
私はこの超人計画っていう小説を知らなかったので(タイトルだけは知っていた)とても参考になりました。
どうもです。

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