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触手はいったいだれのものか?ー触手ものにおけるエロティシズム

アダルトゲームとかアダルトな漫画とかアダルトなアニメとか、そういうとかくアダルトな方面で昔から使われてる表現に触手ものと呼ばれる1ジャンルがある。

触手ものについて、今さら説明するのも気が引けるが、そこをあえて説明してみると、女性に触手がからみついて、色々なアレやコレをするという趣向のエロティックな表現のことである。

この触手ものって、ずいぶんと昔からあるような記憶がある。
どのくらい昔から使われていたのかは知らないので、少し調べてみたら、Wikipediaの触手責めという項目に以下の記述があった。

触手責めは日本において特に好まれ、発展したポルノグラフの一様式である。古くは葛飾北斎の『蛸と海女』で描かれている。触手責めーWikipedia

私は漫画などで、いつから触手ものが使われていたのかを知りたかっただけなんだけど、いきなり北斎まで話が飛ぶとは。
そういえば、この北斎の蛸の春画ってどこかで見た覚えがあるな。
どこで見たのかは忘れてしまったけど。

どうも日本人は昔からイカ、タコなどの軟体動物と女体の絡みにエロティックな妄想を膨らませていたらしい。

同じ項に「(触手責めとは)ファンタジー作品やSF作品に登場する架空の怪物が触手を用いて人間と性行為を行うシチュエーション」なる記述があるんだけど、ファンタジーはともかくSFで触手が使われるのには、想像力の連続性みたいなのが確実にあるんだろう。
なにしろ、昔のSFに出てくる宇宙人ってのは、タコの姿で表現されていたわけだから。

さて、触手ものについて書いてみようと思ったはいいが、実は私は触手ものに詳しくはない。
いや、もし私が触手ものに詳しかったりしても、それはそれで、人格的な屈辱を感じるだろうから、詳しくなくても別にかまわないんだけど・・・・。

ただ、私の狭い知見(←ホントです)から言うと、アニメ、漫画などのいわゆる触手もので、タコやイカの足が実際に使われているのをあまり見たことがない。

触手ものの犯し手がタコ、イカであることは確かにまれではあるけど、別にそういう意味で言っているのではなく、ここで問題にしてるのは触手の形状のことだ。
私が見た触手の形状のほとんどはイカ、タコの足のように吸盤がついているタイプのものではない。
はっきり言っちゃえば、ほとんどの触手はあきらかに男根を模して描かれていた。
先端が丸みを帯びた触手。
これが男根の模造品であることは誰の眼にも明白だ。

北斎はタコの足が女体と絡む様を描いているが、別にそれを男根に似せようとはしていない。
しかし、おそらく、ここでも男根のイメージというのは確実に脳裏によぎっていただろう。
無数の男根が女を蹂躙する、その子供じみた誇大妄想。
こうした、けたたましい性的イメージが触手ものと呼ばれるジャンルが長きにわたって愛用されている要因なのだろう。

しかし、この触手ものと呼ばれるポルノの1ジャンルを見ていると私は不思議な気持ちになる。

よくメディア論などで使われる「身体共有感覚」という用語がある(注1)。
これは、スポーツの試合観戦などをしているときに、視聴者がスポーツ選手の肉体を共有しているかのように感じる感覚のことだ。
たとえば、格闘技の試合などを見ていて、まるで自分が試合をしているような気分になり、知らず知らずのうちに拳を硬く握り締めている、などの経験はほとんどの人がしているであろう。
ちなみに、この身体共有感覚はスピードが速いと働きにくくなり、スピードが遅いと働きやすいと言われている。
たとえば、シュガー・レイ・レナードのすさまじく速いコンビネーション(ほとんど眼にもとまらない)と、総合格闘技における寝技。
このどちらに身体共有感覚が働きやすいかというと、総合の寝技のほうなのである。

いきなり格闘技の話をされても格闘技ファン以外はわかりにくいだろうから、アニメで説明してみると、コードギアスの戦闘シーンよりも劇場版エヴァ(最近のじゃなくて昔のやつ)の戦闘シーンのほうが身体共有感覚は働きやすいってこと。
コードギアスの戦闘シーンはめっちゃ速い(普通の人間の動きよりも明らかに速い)。エヴァはのろい(普通の人間のレベルの動き)。
これを見比べてみれば、スピードが遅い劇場版エヴァのほうが、自分が戦っているような感覚になれるんじゃないかと思う。
まるで、エヴァ弐号機と自分が一体化してるような身体感覚があるはずだ。

実は、私はロボットアニメというジャンルは身体共有感覚というものを、アニメ的に解釈した一大発明なのではないか、という感想を以前から持っていたりするんだけど、それはそれで別の話。

話を元に戻す。

さて、ここで問題提起をしてみたい。
触手ものを見ているとき、我々の身体共有感覚はどのように働いているだろうか?
我々と言っても、これは男性に向けて言っているんだけど、果たしてこの触手という存在をまるで自分の男根のように我々は感じているのか?
女体にめぐらされた無数の触手(男根)を我々は自分のものであるかのように感じることができているのだろうか。

これは自分の主観的な感覚でしかいえないんだけど、とりあえず、自分は触手に身体共有感覚を感じてはいない。
まるっきり感じていないことはないんだが、それはとても微弱なものだ。

実は、私が触手ものを見ているとき、身体共有感覚が働いているのは、むしろ犯される女性キャラのほうだ。
まるで、自分が女性のような気分になって、触手に犯されているかのような感覚がする。
そして、それこそが触手ものがもたらす性的な興奮なのではないか、そう考える。

触手という男根に擬せられたものが過剰なまでに溢れていることを考えればこれはとても不思議なことだ。
だから、我々はこう問うてみるべきなのだ。
「その触手はいったい誰のものなのか?」と。

触手の保有者。
見た目から言えば、それはもちろん怪物や宇宙人のものだ。
しかし、ここで問題にしているのはそういうことではない。
我々の触手ものに対する意識の持ちようとでもいうような、もっとメタレベルでの話だ。

私が思うに、触手ものにおいて触手を自分の体のように感じられないのは、触手の数が多すぎるせいである。
女性キャラの両手両足を縛りつける、乳房や局部に這わせる、口に突っ込む。
これらの複数の動作を触手はやってのける。

一見、これは男性の性的な誇大妄想を具現化しているかのように思われる。
つまり、自分の男根でありとあらゆることをいっぺんにしてみたい、そういう可能性の極大化を表現しているのだと解釈するのは妥当だろう。
たしかに、動機の説明としてはそれは正しいのかもしれないが、問題はあまりに数の多い男根に、男は身体共有感覚を働かすことができるのか、ということである。

つまり、普通の男性は複数の男根を保有したことなどないのだ。
それなのに、触手ものでは、複数の男根を保有し、使用するという映像、画像を見せられる。
複数の男根を操り、女体を侵略してみる、という妄想は、それが妄想でしかないがゆえに面白い。
しかし、そこまで非現実的な身体感覚に(たとえそれが脳内で繰り広げられる絵空事でしかないにしろ)脳が追いつける人間もまたそういないだろう。
はっきり言って、我々はそこまで肉体的な想像力が豊かではないのだ。

たとえば、我々は阿修羅のような6本の腕を持つ人間というものを視覚的に想像することができる。それはたやすいことだ。
しかし、視覚的には容易に想像できる阿修羅であるが、これが実際に自分の腕が6本あったらどうかという、仮定的で肉体的実感をともなった想像を働かせるのはとてもむずかしい。
実際に自分の腕が6本あった状態を想像してみてほしい。
実感として腕が6本ある状態を想像できない人がほとんどだろうと思う。

さて、こうしたことを踏まえてみると、触手ものというのはとても興味深いポルノ表現だと思う。
ここでは男根が過剰であるがゆえに、かえって男根に身体共有感覚が働かないという、ねじれた構造が見て取れる。
そして、行き場を失った我々の身体共有感覚は、犯される側の女性キャラへと一体化しようとするのである。

4840214670あずまんが大王 (1)
あずま きよひこ
メディアワークス 2000-02

by G-Tools


4840222924苺ましまろ 1 (1) (電撃コミックス)
ばらスィー
メディアワークス 2003-01-27

by G-Tools



ポルノではないけれども、あずまんが大王や苺ましまろなどの萌え漫画。
これらのなかでは、男性の姿は消去されている。

現実の半分(男)を意図的になかったことにすることによって、読者は漫画のなかの女性キャラに身体共有感覚を働かせざるをえない。
だから、これらを読んでいると、まるで自分が女の子であるかのような感覚になれるわけだ。
特に、あずまんが大王ではそれが巧妙に仕掛けられている印象がある。
木村という変態教師を唯一の男キャラとして登場させ、彼を嫌われ者として描くことによって、読者が男目線で女子キャラを見ることを禁止している。
芸が細かい。

萌え漫画で男という存在を消去するのと同じ効果が、実は触手ものにもあるのではないか。
しかも、それはあるべき存在を消去するという方法論ではなく、存在の局部を過剰に描くことによって、かえって存在との関わりを消してしまうという、二重構造になっているのである。
触手ものが長きにわたって愛されている(?)のも、ただ単に「女体とぬるぬるした触手がからんでいるのってエッチだから」という単純な理由によるものではないのかもしれない。


(注1)「よくメディア論などで使われる「身体共有感覚」という用語がある。」
ごめんなさい。そんな用語は存在してないです。これは私がとある18禁アニメを見ているときに思いついたものなので。
あと、ついつい長文になってごめんなさい。まさか自分でも触手ものでこんな長文書いちゃうとは思わなかった・・・・・・・。

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