いくつかギャルゲーをやっていて気づいたんだけど、どうもギャルゲーには三角関係が出てこないような印象がある。
もちろん、まったく出てこないというわけじゃないんだけど、かなり少ない。
主人公の男を二人の女が奪い合うというのはわりとあるけど、男二人が女一人を奪い合うという形の三角関係があまり見当たらない気がする。
アニメ化されてるということで話に出すのがちょうどいいと思うんで、ここではクラナドを例にとってみる(原作は未プレイだけど)。
このなかで三角関係らしきものは、藤林 杏、椋の双子と岡崎のあいだでしか成立してない。
まあ、岡崎、春原、渚の関係も三角関係といえないことはないけど、渚のなかで春原は確実に恋愛対象には入ってないだろうから、これは三角関係として成り立ってない。
あらためて言うまでもなく、恋愛もののフィクションにおいて三角関係ってのはとてもポピュラーなものである。
たとえば、この漫画。
タッチのなかでは執拗に三角関係が繰り返される。
まず、最初にあるのがこの三角関係。
しかし、双子で幼なじみを取り合うってのは、とてもドロドロした話だと改めて思う。
このドロドロってのは、昼ドラ的なドロドロなわけだけど。
それが、ああいう軽い読後感をもたらしてるのを考えると、やっぱあだち充ってスゴい。
あえて、軽いところにとどまってみせるっていうのは、当時の時代性もあっただろうけど、この漫画家の特質でもあったんだろう。
この軽さって真似しようとしてもできるもんじゃないんで、こういうのを才能とか呼ぶんだろうなあ。
あだち充がいかに天才かという話はとりあえず置いておくとして、三角関係の話。
和也が交通事故で死んで、三角関係の一つが欠けてしまう。
すると、その欠けた一点は必ず補われなければならないとでもいうように、すぐさま新田がこの三角関係に入ってくる。
つまり、この長い青春物語の大部分で、この三角関係は継続されてる。
そして、逆の視点から見ると、こういう三角関係もなりたっている。
ここではタッチにおける三角関係を見てみたが、他の恋愛もののフィクションにおける三角関係には、たとえば、以下のようなものがある。
このほかにも三角関係なんてはいて捨てるほどあげられるだろう。
一人の人間を二人で取り合うことによって、人物間で闘争が生まれ、内面で葛藤が生じる。
嫉妬やいらだちや焦りを通じて、登場人物のなかで恋愛感情が強められる。
だから、男二人で女一人を取り合うという図式の場合、その女の価値というのは三角関係の効果によって高められる。
たとえば、浅倉南というヒロインはそのままでもたしかに価値が高いだろう。
だけど、和也、新田という、男たちに求愛されることで、よりその価値を増しているといえる。
まあ、需要が高いから価格も高くなるっていうやつ。
ドラマを転がしやすく、またヒロインの価値を高められるから、三角関係が多用されるんだろうってことは、容易にわかる。
だけど、それなら、これだけメリットのある三角関係をなぜギャルゲーは描こうとしないのだろう?不思議。
だけど、これ、少し考えてみたら簡単にわかった。
ギャルゲーの構造ってのはこうなってる。
ヒロイン、一人一人のルートは独立していることになってるけど、主人公の男はどのヒロインに恋愛してもかまわない。
こういう複数の時系列が並列してるなかで、三角関係を描こうとすると変なことになる。
まあ、女二人が主人公一人を取り合うという形は簡単にできるけど、男二人、女一人パターンは難しい。
もしここに主人公のライバル(恋敵)の男がいたとして、これを仮に新田とでも名づけておくことにする。
そうすると、A子のルートで新田と主人公がA子を取り合うストーリーがあったとすると、この新田はB子ルートではライバル(恋敵)としては使えない。
なぜって新田はA子を好きだという設定になってるはずであるから。
「お前はA子を好きだったはずなのに、なぜB子のことも好きになってるんだ?」という、矛盾が生まれてくる。新田は無節操なやつだ、てなことになる。
まあ、無節操といえばギャルゲーのプレイヤー自身がそうなのであるけど、仮に自分が無節操であったとしても、他人の無節操はやたら目につき不快なもんだ。
だから、男二人、女一人の三角関係をギャルゲーで使うには、そのルートごとに、男の新キャラを登場させなければいけないことになって、これはまずい。
ルートごとに、新キャラが出てくるのって、明らかに変だから。
こういう構造上の理由で、ギャルゲーのなかでは三角関係(男二人、女一人)が描かれないんだろうことはわかる。
だけど、三角関係を描けないことによる弊害ってのは確実にある。
主人公のなかで恋愛感情が高まっていく過程が描きにくいってことと、ヒロインの価値を高められない、というこの二つだ。
で、これを解決する発明ってのが、「ヒロインの過去」なんじゃないかなと思うのだ。
ギャルゲーのなかでは、ヒロインが過去になんらかのトラウマを持っていて、それを解決することで、主人公との恋愛も成就、みたいなパターンがよくある。
クラナドで言えば、一ノ瀬 ことみがその典型。
それと、風子もそうかもしれない。
彼女たちは過去になんらかの葛藤を持っていて、それを主人公と一緒に解決していく。
その過程で、過去を共有するわけだし、そして、そのことによって主人公は彼女らをかけがいのない存在であると認識する。
つまり、ヒロインというものに、過去の時系列を背おわせ、それを共有することによって、二つの問題点を解決してるように見える。
実は私はこのパターンがとても苦手で、これが出るたびに「うわっ、また過去のトラウマ出てきたッ!」とウンザリしてはスキップしちゃうんだけど、個人的な好き嫌いは別として、これはとても優れた発明なんじゃないかとは思う。
私はともかく、多くのプレイヤーには、ちゃんとこの効果が機能しているのだろうしね。
ちなみに私はKeyのゲームでプレイしたことがあるのって、Airだけなんだけど、このゲームのなかでは、このパターンが大げさなまでに展開され、しかもそれが結局のところ成就できないというところがとても面白い。
観鈴という病気がちの少女とつきあっていくと、いきなり平安時代と思しき過去に飛ばされ、過去でのいきさつが語られる。
その後、現代に戻ってくると、主人公はなぜかカラスになってて、物語に参加することすらできない。
主人公、そして私たちは傍観者としてただ物語が流れていくのを見ていることしか許されないまま、ヒロインの観鈴は死んでしまう。
これはギャルゲー的なストーリー展開を踏襲したまま、ギャルゲー的な願いがかなえられないという、大いなる喪失の物語だと思った。
この感覚って、村上春樹の小説に近いような気がする。
他の二人のルートは正直、退屈だったんだけど、観鈴ルートだけは泣きまくってた。涙腺がふやけるんじゃないかってくらい。