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『よつばと!』のよつばの髪が緑色なのはなぜ?

『よつばと!』をロリコン漫画だと思う感覚が僕にはピンと来なかったりします。
何故なら、僕は最近までよつばを男のコだと思っていたから。

よつばが男のコだったら『よつばと!』は……やまなしなひび


よつばを男の子(なんじゃないか?)と勘違いしていたという、この記事がたいへんに面白かった。
私はよつばと!を1巻から順に読んでいったので、そういう勘違いはしなかったのだけれども、途中から飛び飛びに読んでいくと、こういう勘違いもありうるのかと。
その勘違いの方向性が、まったく予想していなかっただけに、やたらと新鮮に感じた。
(そういえば、私もNHKにようこそというアニメを見ていて「このヒロインは主人公の作り出した妄想だ!」と派手に勘違いしたことがあるので、人様の勘違いを喋喋できる筋合いはないのだけど)


この記事を面白く感じたのは、他にも理由がある。
私がちょうど、ユリイカ6月号におさめられた、斉藤環のよつばと!評を読んでいたところだったからだ。そして、これとあわせて読むと、このやまなしさんの「勘違い」には、それなりの理由があるように感じられる。
女の子であるはずなのに、男の子に勘違いされても、おかしくないような要素が、よつばというキャラにはあるんじゃないかと。


ってことで、そのことについて自分なりに書いてみようと思う。



[そもそも、よつばの髪はなぜ緑色なのか?]



よつばと! (2)


とーちゃんに拾われた、外国人の女の子、という設定になってるよつばであるけれども、それならば、いったい「何人」なんだろう?


一巻の最初のほうで、恵那がよつばを一目見て「外国の子?」と感想をもらしていることからして、外国人っぽい、つまりは日本人離れした風貌をしているのだろう。つまり、日本人に顔が似ている、韓国人や中国人ではない。
肌の色からすれば、黒人、東南アジア系、南アジア系でもない。
とすると、たぶん、白人系の人種なんだろう。


しかしながら、白人でも、髪が緑色の人間はいない。まあ、こんなのはわざわざ言うまでもないことだけど。


状況証拠からして「たぶん、白人系なんだろう」と推測ができるだけであって、よつばのビジュアルを見ただけでは、いったい何人なのかはさっぱりわからない。


髪の色に触れたついでに、髪型にも触れておくと、いったい何なんだろう、この髪型は。
名前がよつばだから、四つに髪を結んで、四つ葉をアピールしているのだろうか。
奈良のマスコットキャラだからということで、大仏に鹿の角をつけてみたせんとくんと同種類のセンスを感じる(ごめんなさい、これはさすがに言葉がすぎた)。


他のキャラ、たとえば風香はとてもリアルな肉体に描かれているのに、よつばだけが現実感のない風貌で描かれている(上の2巻の表紙でも、風香の足はとても肉感的に描かれているのに、よつばの足は凸凹がなくまっすぐ)。


斉藤環の文章のなかに、以下のようなくだりがある。(キャラ/キャラクターというのは伊藤剛の援用)

『よつばと!』においてはあきらかに、よつばだけがキャラで、他の人物はキャラクターと考えることも可能だ。だから、先の伊藤剛によるインタビューで、よつばスタジオ代表の里見英樹が指摘しているように、かりに映画化の話があったとしても「よつばだけアニメで、あとは実写でやればいい」ということになる。


やまなしさんの勘違いというのも、つまりは、よつばだけがアニメ的存在だというところに起因してるんじゃないかと思った。つまり、よつばだけが非実写的な、現実に依拠していない存在だからこそ、こういう勘違いが生まれたのではないかと。つまり、勘違いにもちゃんと意味があるわけで、そこが、とても面白かった。


[よつばと!を最初に読んだときの違和感]

実は、初めてよつばと!を読んだときに、このよつばの現実感の無さに、私はかなりの違和感を感じた。これは、ただ単に、風貌だけのことではなく、その言動も含めた総合的な印象なんだけど、よつばのことを、どうも作為的に感じてしまった。
正直に言うと、よつばという存在をうそ臭く感じたのだ。


もっとも、この違和感はすぐ消えた。たぶん、この漫画の文法に慣れたんだと思う。2巻を読むころには、よつばのことも大好きになってた。


よつばと!は一見すると何気ない日常を描いた漫画だ。
牧場に行ったり、天体観測したり、ニジマスを釣りにいったり。
あずまきよひこは自分のブログでモデルになった場所を公開してるから、実際にそこを訪れることも可能だ。

7巻の話~牧場(牧場のシーンのモデルになったのは5ヶ所あるらしい)

よつばと!で描かれている日常は、誰にでも反復可能な日常に見えるけど、それでもやはり、これは漫画のなかだけにしか存在しない日常だ。その漫画らしさを担保しているのが、よつばという存在なんだろうと思う。


[ところで、よつばと!は一般人にも理解できるか?]

そんなのは知らない。知らないが、この前段にはたぶん、「あずまんが大王は一般人には理解できないけど」なる文言が省略されてるんだろうなあ。


たしかに、あずまんが大王は、オタク的特殊性に満ちた漫画だということで、評価が一致してるみたいだ。
もともと私はオタクじゃなかったが、それでも、あずまんが大王はとても面白く感じたので「よつばと!のみならず、あずまんが大王だって一般人にウケる」と主張したいところだけど、さすがに大泉さんのような例を見てみると、それは違うらしい。
(もともと大泉さんはオタクじゃない)

(マリみてを読んで、何が面白いのかわからなかったという話のあと) その後読んだ『あずまんが大王』(*4)は、ある意味でもっとすごかった。これまた女子高生の世界だが、作中に男性主体がいないとかいうレベルの話ではなく、ひたすらかわいいものをめでる作者とキャラの息づかいしかしないのだ。性的な要素が微塵も感じられない。読む人が読めばその空気感が心地よいのだろうが、僕には空気が止まっているようにしか感じられず、眠くて死にそうになった。そして、何度挑んでも最後まで読み通せなかったのである(アニメ版は工夫が凝らされていて面白く見ることができたのだが)。

第16回 ジェンダーの越境 オタクとは何か?


そういえば、私はあずまんが大王を読んだほとんどすぐ後に、よつばと!を読み始めたのだけれど、そのとき、ひどく驚いたことがあった。
女性キャラがやたらとエロティックに見える!んである。あさぎや風香がとても色っぽく感じた。前にも書いたことがあったけど、私はあずまんが大王に出てくるキャラには、ぜんぜんいやらしい目線を向けることができなかった。ただ単に、男キャラが出てくるだけで、これだけの差が生じるのかと驚いたものである。


よつばと!はあずまんが大王に比べれば、あまりオタク的な特殊性は感じない。つまり、一般人にも理解できそうな漫画に見えるのは確かだ。実際にどうなのかはさておき。


だけど、紙屋研究所さんのこの文章なんかは、よつばと!も同じくオタク的な漫画だと主張しているように見える。

お隣にいる三姉妹は「美女」「女子高生」「小学生女子」である。表面からは消して回った性は、この3姉妹に息づいており、そのときどきにむけられる、あずまの彼女たちへの性的なまなざしをみるがいい。何も性的なイヴェントは起こらないけど、作品世界のそこかしこに性的な空気が充満している。

 これは、「ヲタク」の欲望を理想化した世界だ。

あずまきよひこ『よつばと!』


なるほど。たしかに、よつばと!はオタクの欲望を理想化した世界なのかもしれない。
しかし、それはオタクに限った話ではない。だって、隣にあさぎや風香みたいな美人姉妹が住んでたら、男ならだれだってウハウハだろう。
つまり、こんなのはオタクの特殊性に当てはめるべき話ではなくて、ごくありふれた一般的な欲望の一つであるにすぎない。


それから、この文章には一つとても気になるところがある。
あずまきよひこがあさぎや風香に対して、性的な目線を向けているのは確かだと思う。作中では実際に「美女」「美少女」と呼ばれているし。
だけど、「小学生女子」こと恵那に対してはどうだろう?この漫画のなかで、恵那をいやらしい目線で見ているところなんてあったのだろうか?どこらへんが、いやらしい目線で見ているのか、私には見当もつかないな。



ユリイカ 2008年6月号 特集=マンガ批評の新展開
ユリイカ 2008年6月号 特集=マンガ批評の新展開
記事内でとりあげた斉藤環の文章が載ってる。
しかし、それよりも、泉信行という人が書いたスクラン評のほうが面白い。






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日本アニメの中国語タイトルが変

ふと、日本のアニメとかの中国語タイトルってどうなってるんだろう?というちょっとした疑問がわいたので調べてみた。

日本のアニメ,マンガ,ゲーム等の中国語タイトル

かなり、数が多いんでこの中から個人的に気になるものだけを抜き出してみた。


YAWARA! → 柔道英雌

キャプテン翼 → 天使之翼

ルパン三世 → 魯邦三世

一休さん → 一休和尚

釣りキチ三平 → 天才小釣手

おもひでぽろぽろ → 點點滴滴的回憶

となりのトトロ → 龍猫

キン肉マン → 金肉超人

キャッツアイ → 猫眼

こちら葛飾区亀有公園前派出所 → 烏龍派出所

ぼくの地球を守って → 地球守護靈

新世紀エヴァンゲリオン → 新世紀福音戰士

スケバン刑事 → 神秘女刑警

ドラゴンクエスト → 勇者鬥悪龍

ファイナルファンタジー → 太空戰士

プリンセスメーカー → 美少女夢工場

ツインビー → 兵蜂

ストリートファイター → 快打旋風



「新世紀エヴァンゲリオン→新世紀福音戰士」なんかは、なるほどと思った。
あとは、「釣りキチ三平→天才小釣手」なんかも、なかなか。もっとも、釣りキチのキチは気違いのキチなわけで、天才というよりも狂人とかのほうが似つかわしいんじゃないかとは思ったけど。まあ、中国語がわかりもしないのに偉そうなこと言ってますけど。


こんな感じで変換されるんだと感心する一方でかなり変に見えるのも多い。まあ、これは中国語を理解していればニュアンス的に納得できるものもあったりするんだろうけど、こっちは中国語なんてできやしないので、なんか不可思議な気持ちにさせられる。異文化コミュニケーション的な。


たとえば、なぜか、勝手に和尚に昇格させられてる一休さんとか、
意味はわからないけど、とりあえずぽろぽろしてる感じだけはわかる、おもひでぽろぽろとか(「點點滴滴的」←ここがたぶんぽろぽろ部分)、
直訳すぎるキャッツアイ(猫眼)とか、
龍なんだか猫なんだかはっきりしてほしいと思わせる、となりのトトロとか、
あの紫苑とか木蓮とかいう人たちは守護霊だったのか、知らなかった・・・・・だとか、
スケバン刑事のどこらへんが神秘なんだろう?南野陽子が17年も鉄仮面かぶり続けてたところか?とか、
そういう感想だか疑問だかわかんないものが浮かんでくる。


そのなかでも、個人的には、いちばん心に引っかかるタイトルはこれだった。


プリンセスメーカー → 美少女夢工場


たしか、このゲームは父親が娘を育てるゲームだったはず。だから、工場とは何の関係もない。何の関係もないけど、それでも美少女夢工場は素敵なタイトル。




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何だ、この独特の気持ち悪さは!? きらりん☆レボリューション STAGE3

きらりんレボリューションといえば、主人公,月島きらり役の久住小春(モーニング娘)の変な声が印象的なアニメである。


きらりんレボリューションと言うアニメがありますがーYahoo!知恵袋

きらりんレボリューションと言うアニメがありますが、
みなさん、このアニメのことをどういう感じに思いますか?
理由もお願いします。

(例:声高くて嫌だ、など。)
質問の段階で、自分の感想を述べちゃうのはどうなんだろう・・・・・。


このアニメは放映開始からもう3年目に突入するわけで、かなりの長寿番組になるわけだけど、この4月から大幅な変更がなされた。


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これだけではよくわからないかもしれないけど、全てのキャラが3DCG化されている。つまり、イリュージョン化されたのである。


もともと、このアニメは日本人の作画監督一人の下に韓国人の原画マンがつく、という18禁アニメなんかでよくある制作スタイルだった。そのせいかどうかは知らないけど、極めて微妙な作画だったわけである。
なので、こういう手もアリなのかとは思う。3DCGだったら、とりあえず作画は安定するわけだから。
全キャラが3DCG化。たしかに、アリといえばアリなんだろう。しかし、アリとかナシとか、それ以前に、これがとても気持ち悪いんである。


この気持ち悪さってのは何なのか。


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影がなぜかデコボコになっていたり、



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そもそも、3DCGのモデリングじたいが間違っているようなキャラがいたり、


するのは、実はそうたいした問題ではないと思う。


問題なのは、キャラの動きが気持ち悪いという、その一点だ。
たとえば、普通のアニメではキャラが首をかしげる動作が「1、2、3」くらいのテンポだったとする。


それに比べると、この3DCG化されたきらりんレボリューションは「1、
これくらいのテンポ。
この動作のテンポがいちいち奇妙な違和感を発生させる。生理的な不快感がある。
簡単に言うと、動きがカクカクしてるってことだ。


しかし、カクカクしてるとは言っても、さすがにロボットダンスレベルでカクカクしてるわけじゃない。微妙といえば微妙な違いではあるんだけど、その微妙なところが気に障る。
以前の手書きのころのアニメだって、相当にしょぼかったわけだけど、3DCGよりはまだマシっていう感じがする。
3DCGというのは、細かいところの「変」が、やたらに目立つものなのかもしれないなあ、と思った(注1)。


それから、これは3DCGになったせいで、欠点が改めて目に付いただけの話なのかもしれないけど、


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月島きらりって、やっぱり目がデカすぎると思う。



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こういう目のデカい猿がいたなあ、南米あたりに。


(注1)もっともイリュージョンの3DCGのエロゲーには違和感を感じなかったけど。



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エロゲ原作アニメの矛盾を濃縮還元するとこんなアニメができあがる - 姉、ちゃんとしようよっ!

どうも、エロゲーを原作にしたアニメはむずかしいってのは共通理解となってるみたいだ。

なにしろ、複数の時系列をひとつにまとめなければならないわけで、そりゃ、どうしたって矛盾が出てくる。
主人公が複数の女の子にちょっかい出しているような節操のないヤツに見えたり、また、その矛盾を解消しようとして、本来は愛情として描写されていたものを友情に変換してみたり。
ひぐらしのように複数の時系列をそのままアニメにしちゃえば楽なのだろうけど、さすがにあの手はひぐらしでしか使えないだろうし。逆に言えば、ひぐらしはあの形でしかアニメ化できないんだろうけど。


さて、今回はそんなエロゲ原作アニメの矛盾を濃縮還元したサンプルとして、このアニメを取り上げてみたいと思う。


姉、ちゃんとしようよっ!

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2003年にきゃんでぃそふとから発売されたエロゲーをアニメ化した全5巻のOVA作品。原作ゲームは「つよきす」「君が主で執事が俺で」などで知られる、タカヒロ、白猫参謀が関わっている。「つよきす」「君が主で執事が俺で」は一般アニメとして映像化されているけれども、これは18禁アニメ。ちなみに私は原作のほうは未プレイ。つよきすときみあるはやったことあるんだけど。ちなみに原作ゲームのレビューがこちら。

なかなかセンスのあるテキストで、私が嫌いな陵辱シーンもありません(ちょっとそれっぽいのはあります。釘とか)
感動するということはありませんが、日常のほのぼの感はなかなかのものだと思います。
どのシナリオも同じような雰囲気で(退屈という意味ではないです)
どのエンディングも綺麗にまとまっていますし、メインヒロインで私のツボの要芽お姉様もエンディングでは、温かな笑顔を見せてくれます。

姉、ちゃんとしようよっレビュー|春が大好きっ

このレビューを読むと、つよきす、君が主で執事が俺でなんかと同じくギャグが盛り込まれた日常系エロゲーみたいだ。


さて、アニメの話。
主人公の柊空也は6人の義姉と同じ家に住んでいる。そこで繰り広げられるドタバタ劇がこのアニメの一応のストーリーということになるんだろう。たぶん。
しかし、このストーリーがいろいろな意味で言葉足らずなんである。


たしか、クラナドの一ノ瀬ことみ編は5話分を使ってた。ところが、これがどうも駆け足すぎるような印象で、あまりストーリーが頭に入ってこなかった。


しかし、このアニメ「姉、ちゃんとしようよっ!」は同じ5話分のなかに6人のストーリーを詰め込んでいる。その上、一巻あたり、平均3回のエッチシーンあり。つまり、クラナドどころの詰め込み具合じゃないのだ。
まるで亜光速で飛ぶ宇宙船のなかのルームランナーを全速力で駆け足してるような、速いんだか速くないんだか、ひょっとしてそれって止まってるんじゃねーかみたいな駆け足感がある。
おそらく、こんな制約を課せられていたら、どんな優れたシナリオライターでも、ちゃんとストーリーを転がすことはできないだろう。
だいいち、1巻目で3人の姉とよく理由のわからないままエッチしちゃうわけだし。もっとも、手コキ、足コキもエッチのうちに含めると4人とエッチしてることにはなるのだが。


アニメ「姉、ちゃんとしようよっ!」は18禁アニメらしく、姉ちゃん達と乱交しながらストーリーが進んでいく。たぶん原作では、それなりにちゃんとしたストーリーがヒロインごとに用意されていたりはするんだろうけど、尺が足りないのか、それとも原作をプレイした人向けに製作しているのか、このアニメでは説明がいちじるしく不足していたり、明らかな矛盾があったりする。そのなかでも特に目に付いた大きな矛盾点を二つばかり紹介してみたい。


[矛盾その一 姉が仮面ライダーであるにもかかわらず、主人公は完全スルー]


1巻の後半で、海岸を歩いていた主人公、空也はなぞの怪物に襲われる。

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このアニメ、他のシーンはほとんど柊家のなかに限定されている。
いわば、ひだまりスケッチ、苺ましまろみたいな、日常系アニメといえる。いや、それはちょっとだけ強引な説明かもしらんけど。
そんな日常系アニメにいきなりこんな怪物が登場してくるのはあまりに突飛すぎると思う。脳がついていかねえ。
しかし、とりあえず怪物の魔の手から空也を助けてくれたのがコイツだ。



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どう見ても仮面ライダー


どうやら、これは何かの伏線らしい。
その後、家に帰った空也は、怪物のことなんて忘れてしまったみたいに、すぐツインテールの姉とのSMセックスに突入してしまうので、怪物のことも仮面ライダーのこともまったく印象に残らないが。


この伏線が回収されるのは2巻の冒頭。
海岸で金髪の姉と昼間っからコトに及んでいた空也。終わったあとに「中出ししたのに私のことを愛してくれてないわけ?」みたいなことを金髪姉から詰問されるんだけど、そもそも1巻の時点で4人の姉と性交渉しちゃってる人間に道徳を求めても無駄なことだと私は思った。
プリプリ怒った金髪姉が去った後、例の怪物に襲われる。


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こりゃ確実に死ぬな


倒れる寸前に空也は「な、なんで昼間から(怪物が出てくるんだ)・・・?」とつぶやくのだけれども、そもそもこの怪物は夜間に現れるもの、という決まりでもあったのだろうか?たしかに前回は夜に現れてはいたけど、たった1回の経験を一般化するのはいかがなものか。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという格言を思い出す。


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空也の危機に現れたのが、姉の一人である巴(ちなみに空也は彼女のことを「ともねえ」と呼んでいる)。



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仮面ライダーによく似たポーズで仮面ライダーみたいな何かに変身するともねえ。
なんと、ともねえは仮面ライダーだった!


ともねえの戦闘を見ているうちに空也は気を失う。


意識を取り戻すと、ともねえの部屋に寝かされていた空也。なぜか、腹の傷も完治していた。傷が治っていることを不思議がる空也に対して、


ともねえ「直ったの、テンシン(転身?)したときのわたしの血を飲ませたから」


空也「へえ、ともねえの血には癒しの効果があるのか。なんだ?すごく調子がいいぞ」


立ち上がる空也。すると調子がいいついでに股間が勃起していることに気づく。


空也「うっわ、ごめん、あわわわわ」


ともねえの上に倒れこむ空也。このシーンは空也の股間が勃起していることを除けば、エヴァでシンジが綾波を押し倒すシーンに酷似。
ともねえの胸をモミモ未する空也。
そして、


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たしかにエッチしたい気持ちは重々わかる。


特にこのともねえは、異常性欲者ぞろいの姉のなかでいちばんの常識人であるから(他の姉たちは空也の部屋でオナニー、部屋に入るとSMファッションでお出迎え、空也をレイプする、などネジが2,3本抜けてるようなのばっか)。
そんななか唯一まともな「ともねえ」とエッチしたいのはわかるが、しかし、その前に聞くべきことがあるだろう。なぜともねえが仮面ライダーだったのか、私は結局わからずじまいだったんだが・・・・・・。



[矛盾その二 「お前が言うな!」]


1巻につき、最低でも3回以上はエッチシーンのあったこのアニメであるが、どうやら4巻はストーリーを重視してみたらしい。というのも、この巻はエッチシーンがたったの1回(それも一人とのエッチ)しかないからだ。


この4巻のヒロインが彼女。


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柊高嶺 (ひいらぎ たかね)。空也のことは「イカ」と呼んでいる。察するに彼がイカ臭いからであろう。そりゃ、あれだけやりまくればなあ。


高嶺がこの巻のヒロインであり、ストーリーも彼女中心に回っていくのだが、一応断っておくと、空也は彼女と1巻の段階でコトを済ませている。怪物に襲われたあと、SMセックスにふけっていた相手が彼女だ。なので、いまさら高嶺とエッチできたところであまり目新しさはない。


少し話はズレるんだけど、この4巻の冒頭に空也のモノローグ(独白)があるが、ちょっとこれは見過ごせないと思うので取り上げてみる。


空也「(最近)姉たちとの生活もだいぶ落ち着いてきた」


いままで、彼は毎日のように、複数の姉たちと性交してきたんだが、これを「落ち着いた生活」と呼んでいいものなのだろうか。どうも「落ち着いた生活」という言葉に対するイメージが空也と私では180度くらいは違っているみたいだ。


それはともかく、この高嶺には好きな男がいるらしい。それがコイツ。



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中年親父。名前は壬生誠。


この海洋学者のおっさんは、柊家にときどき遊びにくる間柄らしい。アニメ見てる限りでは、このおっさんと柊家の関係がよくわからなかったので、ちょっとWiki見てみたら「壬生誠 空也の実の父親。」という衝撃の事実が判明した。しかし、アニメではその事実に毛ほども触れていないので、こちらもそれにならってスルーしたいと思う。


高嶺は壬生にほれているが、壬生のほうにその気はないらしい。そんなある日、高嶺は壬生さんにデートに誘われる。で、空也はそれを尾行することに。


夜の海岸。二人は話をしている。それを空也は遠くから見ている。
「あなたのことは愛していないけれども、一晩だけの思い出ならあげることはできる」みたいなことを言って、高嶺を押し倒す壬生。
そこに「姉貴ぃぃぃ、ちょっと待ったァァァっ!」の声。空也だ。



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「壬生さん、好きだって言うんならいざしらず、とりあえず『いただき』なんて、そんな考えで姉貴を自由にはさせませんよ」


空也は言う。「愛のないセックスは駄目だ」と。
それは確かに正論だ。しかし、お前だけには言われたくない。


今まで空也がセックスしてきた姉たちのうちで、空也が愛情と呼べるものを表現したのは唯一、要芽だけ。他の姉に対しては愛情なんてひとかけらも見せることなくセックスに及んでいる。


この「姉貴ぃぃぃ、ちょっと待ったァァァっ!」のシーンの後に、高嶺とのエッチシーンがあるんだけど、これは愛情のあるセックスなんだろうか。
空也が高嶺に対して愛情を見せたところ。そんなのあったか?ひょっとしてアレかなあ。空也がトイレに入ったら高嶺がいて、彼女がおしっこするところを間近で見るシーンが4巻の冒頭にあるんだけど、アソコが実は愛情表現のメタファだったりとか?



この二つのほかにも、説明不足なところが多々あって、たとえば、一人が弁護士であることだけはわかるんだけど、他の姉たちの職業は結局、最後まで私はわからなかった。まあ、家のなかだというのに、なぜかずっと制服を着ている女の子がいるんで、これは高校生かなんかなんだろうなあとは思ったけど。


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パンチラはないのにとてもパンチラ的~ToLOVEる、OP、ED解読

アニメにパンチラが出てくると狂喜乱舞して喜ぶ人たちがいたりするが、アレは何なんだろう、と前から思っていた。
二次元美少女のパンツが見られるのがそんなにうれしいのか?


そもそもパンツとは何だ?股間を覆う布切れじゃないか。
たかが布切れに過ぎないものがチラチラとスカートから露出する、そんなものを喜んでいったい何になるというのだろう。バカが。
そうしたバカげた態度が文化の荒廃をもたらすことになぜ気づかないのだろう。


われわれは本当にアニメでパンチラが見たいのか。
そうじゃあるまい。
もっと心を浮き上がらせるもの、もっと感覚が研ぎすまされるもの。そういうものを見たいのだ。


われわれが本当に見たいもの。つまり、それはパンチラじゃなく、乳揺れのはずだ。


[パンツは動かない。動いているのはスカートだ]

パンチラも乳揺れも似たようなものじゃないか、と言われるかもしれない。


まず最初に言っておくが、パンチラと乳揺れはその意味するところが180度くらいは違っている。


パンチラのエロティシズムとは、つまるところ文化、社会的な約束事を前提としている。
まず人間は服を着ているものだという社会的な約束事があり、われわれはいやおうなしにこれを守らなければならない。
服を着るなんて嫌だ、オレは葬式に裸で参列したいと主張したところで認められるはずもない。
こういう社会的約束事が先立って存在しているからこそ、その約束事を破ることに快楽を見出す人間が出てくる。
隠すからのぞきたくなるのだし、スカートで覆われているからパンツが見たくなるのである。
だから、ロザリオとバンパイアみたいに、パンツを見せるのがデフォルト設定のアニメでは、かえってパンチラの効果は半減してしまう。


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量産型パンツ


パンチラの本質とはパンツを見せることにあるのではなく、むしろ隠すことのほうにある。
先にパンツを隠すことが重要なのである。
だから、パンチラシーンで主に動いているのはパンツ(欲望の対象)ではなく、スカート(隠すもの、また社会的な約束事)のほうなのだ。


それに対して、乳揺れはどうか?


乳揺れは欲望の対象そのものが動いている。性的物体が動くことによる純粋な視覚的快楽、それが乳揺れだ。
パンチラのように社会的な約束事を前提としているようなみみっちい感覚はそこにない。
原始的で開放的な見ることの喜び、それこそが乳揺れなのである。
パンチラよりももっと乳揺れを!われわれはネットの中心でそう叫ばなければならない。


さて、これからが本題。
ToLOVEるのOPとEDについて。

最近、テレ東並のぱんつ規制を敷いてるTBSの時点で、テレ東で放送したネギま!に近い不安を予感していたものの、見せ方次第でどうとでもなるもんだなあ、と改めて実感させられた、そんな1話。際どいところに次々とアップで迫るオープニングで、スタッフが込めた熱意は伝わってきましたよ。でも、本当に今後もパンチラ無しだと、それはそれで物足りなさが出てくるけど。
「ToLOVEる―とらぶる―」第1話|MOON PHASE 雑記


そもそもパンチラのないToLOVEるはToLOVEると呼べるんだろうか、という疑問がわかないでもない。
しかし、このOPとEDに話を限ってみると、パンチラがないにもかかわらず、これがきわめてパンチラ的な感性によってなりたっていることに気づいたので報告してみる。


まずOPはここで触れられているように、キャラの全体が示された後に、局部にズームアップするという手法で、覗き見趣味的な映像を作っている。



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ララの股間の下に監督名がクレジット。
これって監督の身になってみると、うれしいんだかうれしくないんだか、よくわからん。


OPよりも、もっとパンチラ的なのがED。

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奥のララは静止しているが、手前の丸いのぞき窓のようなのは常に動いている。
欲望の対象(ララ)は止まったままで、それを隠すものが動いているところなんて、もろにパンチラ的な発想だと私は思った。
このOPとEDはパンチラは実際に出てないのに、極めてパンチラ的だ。


これからのToLOVEるがどうエロ展開していくのかってのは、1話目を見た段階では、まだわからない。
しかし、OP,EDで見られたパンチラ的な発想だけでなく、乳揺れ的な動きの快楽をもっと提供してほしいと思う。
ぶっちゃけて言えば、一話目での乳揺れが少なすぎた、ということだ。
コードギアスR2のほうが乳揺れが多かったように感じたくらいなんだけど、こういうのはToLOVEる的にどうなのだろう。
精進を望みたい。
まあ、ToLOVEるにはコードギアスにはない乳揉みがあったけども。

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