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歴史に残りやすいアニメ、残りにくいアニメ

昔、山下達郎がこんなことを言っていた。

「ロックと違ってモータウンとかは語りにくいんだよね。それで歴史に残るっていくのは、ロックみたいな言語化しやすい音楽のほうなわけ」

あやふやな記憶をもとにしてるんでぜんぜん正確じゃないんだけど、だいたい、こんな意味のこと。

モータウン(・サウンド)が歴史に残っていないかと言えば、そりゃ違う。
実際に今でもちゃんと聴かれている。
しかし、モータウンのような、人を楽しませるだけに作られた娯楽音楽よりも、ロックのような、社会性だとかメッセージ性みたいなのがある音楽のほうが語られやすいし、また歴史に残りやすいってのも確かだと思う。

実際、歴史に残ってるロックバンドのなかには、今聴くと「なんじゃ、こりゃ」ってのが数多くあったりする。
60年代から70年代にかけての、いまだに名前が残ってるロックとモータウンを聞き比べてみると、明らかにロックのほうに外れが多い。
つまり、ロックのほうがその実力よりも過剰に評価されてる印象がある。
(いちおう、私はロックファンなんだけど)

結局のところ、人が人に何かを伝えようとするときは、基本的に言語による。
そうしたときに、ロックのように「語られやすい」ものってのは、人々のあいだに伝わっていきやすいし、また人の記憶に長く残りやすい。
だから、歴史に残りやすいってことだろう。

別に語られやすいものしか歴史に残らないってことではない(実際、モータウン・サウンドは歴史に残ってるし)。
だけど、人々が語りやすいもの、語りを誘発しやすいもののほうが後々まで人気が続く傾向にあるのはたしかだと思う。


宇宙戦艦ヤマトと機動戦士ガンダム

この二つのアニメはともにアニメブームを巻き起こした作品であるけれども、ガンダムのほうがあきらかに人気が長持ちしてる。
これには、いろいろな要因があるだろうから一概にはいえない。
ガンダムのほうは、いまだに新作シリーズが作られていることもその要因の一つだろうし、またガンプラみたいに長く愛される商品群があることもそうだろう。

だから、ガンダム人気の要因を一つだけに定めることはできないんだろうけど、上述した「語られやすさ」ってのも、要因の一つとしてあげられるんじゃないだろうか。
ヤマトとガンダムを比べると、そりゃガンダムのほうが語りやすいわけだし。

語りやすいということにも、さまざまなレベルがある。
ここはとりあえず、便宜的に話を狭めてみると、ガンダムのほうが文芸批評的な語りをしやすい。
ここで言う文芸批評的ってのは、、作品というものを作家の反映であると無意識的に観じる態度のことを言ってるんだけど、富野由悠季っていう人はそうした語りを誘発しやすいんだと思う。
ガンダムに対する愛情と憎悪だとか、またそれを解消したかに見える∀ガンダムにいたる歴史とか。
その他にもニュータイプがどうこう、っていうのもあるし。
そういうふうに作家の歴史と作品というものを重ね合わせて見るっていう態度が、富野及びガンダムを語るときによく見られる。

それに比べると、宇宙戦艦ヤマトと松本零士のあいだには、そういう文芸批評的な語りがなりたちにくい感じがあるような気がする。
あくまでヤマトはヤマトとしてなりたっていて、わざわざ松本零士という作家を参照しなくてもいい、とでもいうような。
まあ、ヤマトブームのときに、どういう語られ方をしたのかっていうのが私にはよくわからないので、そこらへんは断言できないんだけども。

それと松本零士は富野に比べれば個性の薄い人なので(作品の個性が薄いってことじゃなくて、その人となりが激烈じゃないっていう意味で)、そういう部分でも語りにくさってのはあるだろう。


アニメブームを起こした作品というと、このヤマト、ガンダムに加えてエヴァンゲリオンなわけだけど、エヴァはとても語りやすい。
というか、エヴァについて語ってる人なんて、今まで数え切れないくらい見てきた。
庵野という作家も富野と同じく個性の強い人で、また文芸批評的な語りが成り立ちやすいところも共通してる。
エヴァの人気というのは、10年くらい長続きしてるんだけど、その人気の要因の一つは明らかにこうした語りやすさだ。

「語るべきこと」を見つけるのが苦手な人でも、エヴァだったらそれなりに語れる。
そういう語りに対する容易さによってエヴァは言語化され、言語化されたことによって多くの人々に伝播し、そして、それがエヴァを歴史に残る作品にしてる。

とか言いつつも、自分はエヴァについてなんて語れやしないんだけど。
いやー、綾波が好きとか、そういう低レベルのところでしか語れないな、うん。
ついでに書いておくとガンダムについても語れないと思う。
情けな。

まあ、それはともかく、エヴァの語りやすさというものを考えると、たぶん、ヤマトよりもエヴァのほうが人気が長持ちするんだと思う。
ヤマトの人気がどれだけ続いたのかってのはよく知らないし、また「ヤマトの人気は10年続きました」みたいに数量化できるもんでもないだろうけど、たぶん、人気が永続するのはエヴァのほう。


あずまんが大王は語りやすいか?

ところで、こんなふうに「語りやすい作品は歴史に残りやすい」ってことに思いをめぐらしているうちに、それじゃ逆に「語りにくい作品」ってのはなんだろうと思った。

で、自分の頭のなかに浮かんできたのはこれらの作品。


あずまんが大王(2)
あずまんが大王


苺ましまろ 1 (通常版)
苺ましまろ


ひだまりスケッチ 6
ひだまりスケッチ


みなみけ 2 (期間限定版)
みなみけ


要するに、どうってことない日常をまったり描くタイプの作品。

こういうのって、どこがどう面白いのか説明しにくい。
たとえば、自分はあずまんが大王は漫画のほうはすごく面白いけど、アニメはいまいちと思ってる。
だけど、その差異を上手く説明することができない。
せいぜい「作画がちょっと・・・」とか「リズムがどうも悪いような・・・」とかその程度のレベルでしか言葉にすることができない。

また、これらのアニメの面白さってのにも明らかに差があって、まあ、どれがいちばん面白く、どれが詰まらないかということは、ここでは言わないけど、その差がどこからきてるのか説明できない。
言語化することが難しい。
そもそも、これらは明確な物語がないわけだから、どこをどう語ればいいもんだか見当がつかない。

もっとも、私はガンダムもエヴァも語れないような人間だから、そりゃ語れないのも当たり前な話だけど、私に限らずほとんどの人が、これらを語るのに難儀を感じるはず。
「面白い」とか「~(キャラ名)が好き」とか、その程度であれば、言葉にできるだろうけど、ちゃんと一本スジの通った語りを成り立たせるのは難しいだろう。
これら日常系の萌えアニメを語ることができるのは頭のいい人、センスのある人に限られていると思う。

上であげた作品が歴史に残るのかどうかについてはわからない。
けど、とりあえず、語られやすいものと比較すれば、相対的に残りにくいんじゃないだろうか。

ところで、上述した日常系の萌えアニメに「らき☆すた」をいれてなかったんだけど、これは意図的にそうしてみた。
というのも、この一年を振り返ってみると、どうも「らき☆すた」ってやたらに語られていたような印象があったから。

これは、らき☆すたのどこが面白いのかわからないっていう人たちがいて、それに反論する形で語られていたように思う。
結局のところ、そういうアンチの人たちのおかげで、議論が活発化し、らき☆すたという語りにくいはずのアニメが語られてきた。
これって実は、とても幸福なことなんじゃないだろうか。

私はらき☆すたに関しては、大好きってわけでもないけど、そこそこは好き、っていう極めてヌルい態度で接してた。
しかし、こういうヌルい好意よりも、「このアニメが嫌いだ、具体的にはここが嫌い」と明確な言葉で示した人のほうが、このアニメにとって有り難かったんじゃないか、ってそう思う。

てなわけで、これから精霊の守り人とDarker Than Blackとバッカーノについて長文で批判してみようかと思ってるところです。

[追記]
囚人022さんがつけてくれたコメント。

>これは「ちょっと待った」と物言いを付けたい部分が多々あります。少なくとも松本零士のキャラの激烈さは富野さんに負けてないよ?

あ、そうなんですか。
松本零士って、温厚なイメージしかなかったです。
ま、パクリがどうしたってとこはさすがに知ってましたけど。

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女の子を一瞬にしてオヤジ目線で見ることができる裏技を発見したので、「みなみけ」で試してみた

皆さんは、FLASHという雑誌をご存知だろうか?

たぶん確実にご存知であることはわかっているけれど、そこをあえて説明してみると、芸能人の密会現場を盗撮したり、女子アナのパンチラ(またはブラチラ)画像を掲載するなどして、日々、国民の知る権利に献身的に奉仕している、感心な写真週刊誌である。

私はふだん、この雑誌を買う習慣がないし、フライデーとFLASHの違いがよくわからかったりするくらいなんだけど、前々から一つ気になっていることがあった。
というか、これは多くの日本人にとって、年金未払い問題に対するのと同じくらいの気がかりな問題、また疑問ではなかろうかと思う。

どうしてFLASHはグラビアアイドルを「クン」付けで呼ぶのか、って。

これはグラビアアイドルに限った話ではなく、この雑誌のなかで「若い女の子」は総じて「クン」づけで呼ばれる。

長澤まさみクンとか、綾瀬はるかクンとか。

アイドルのほかにも女子アナとかもクンづけで表記されることが多い。

最近、FLASHを読んでなかったので、確認のために、さっきコンビニで立ち読みしてきたんだけど、森下千里が出てて、やっぱり森下千里クンと表記されていた。
ついでに書いておくと、雑誌の中盤に川島なお美のワイン講座みたいな企画があったんだけど、これは「川島なお美サン」と表記されていた。

森下千里はクン。川島なお美はサン。

森下千里と川島なお美のあいだにあるもの。
そりゃ、ぶっちゃけて言えば年齢だ。
なお美は「若い女の子」の範疇からは思いっきり外れているわけで、その若くない女に「川島なお美クン」と呼ぶのは明らかにおかしい。

だから、川島なお美との比較で言えば、「森下千里クン」はそうおかしくはない。

だけど、若い女の子を呼ぶときの呼称としては「クン」よりも一般的な「ちゃん」があるじゃないか、という疑問は残る。
「森下千里ちゃん」のほうが、「森下千里クン」よりは自然だろう。
いや、そもそも、芸能人は呼び捨てにするのが一般的だから、森下千里となにも後ろにつけないほうがずっと自然だ。
実際、他の雑誌のグラビアを確認したら、そのほとんどがアイドルを呼び捨てにしてた。
(コンビニでいろいろと雑誌のグラビアを確認してたんで、よっぽどのグラビア好きと思われたんだろうなあ。別に安めぐみとかに興味があったわけじゃなくて、ただ単に呼称を確認してただけなんだけど)

私が思うに、このFLASHの「~クン」は会社で上司が部下のOLを「~クン」と呼ぶのを擬制してるんだと思う。
「鈴木くん、このコピー30枚頼む」みたいな。
擬似的な会社組織のようなものを想定して、その枠組みのなかにアイドル、女子アナなどの「若い女」を組み込みたいとでもいうような欲望。
「~クン」にはそうした上下関係の意識の確認が含まれていると思う。

だいたい、若い女を雑誌で取り上げるというのは、それだけで賛美を意味している。
たとえ、それがスキャンダルのようなものであってもだ。
「われわれはあなたに興味がありますよ」っていうことを意思表示しちゃってるわけだから、そこには需要を発している者なりの弱みがある。
女子アナに興味のない人間にとっては、彼女のブラひもが見えようが見えまいが関係ないわけだけど、女子アナに価値を見出すものにとっては女子アナのブラひもは希少価値だ。欲望の対象だ。
それを裏返せば、女子アナのブラひもを記事にするという時点で、女子アナに価値があることを認めていることになってしまう。
そういう「弱み」を打ち消してくれるのが「~クン」なんだと思う。

「~クン」と名前の後につけるだけで、「いくらあんたのことを賛美していようが、こっちのほうが上だから」みたいな意識を暗に示すことができる。
これが「~ちゃん」だと、そういう上下意識みたいなものは生まれにくくて、ただ単に「あなたのことをかわいいと思っている」というニュートラルな意思表示になってしまう。

芸能人でも身近にいる女の子でもいいけれども、ためしに「~クン」と心のなかで呼んでほしい。

「いくらアンタが可愛いかろうが胸がデカかろうが、こっちのほうが上だから」みたいな感情にならないだろうか?

ならないだろうか。

ならないだろうか。

ならないだろうか。

とりあえず、私はなりました。

てなわけで、最近、FLASHの「クン」呼びについて考えてた。
もっと他に考えるべきことがあるだろうに、と言われると耳が痛いし、胸が苦しくなるのだけれど、他に考えるべきことを見つけられなかったので、こんなことを考えてた。

で、こんなふうに無意味すぎる考察を続けていたら、あることに気づいた。

「~クン」と女の子を呼ぶと、とたんにオヤジ目線を獲得できるってことに。

ここはアニメブログらしくアニメで実証してみる。
対象は「みなみけ」というアニメ。


みなみけ 1 (期間限定版)


この「みなみけ」というのは、南春香、南夏奈、南千秋という三姉妹の日常を描いた萌えアニメである。

まずは、長女の南春香から試してみる。
彼女はなぜか両親がいない南家において家事全般をとりしきっているという、なかなか感心な女子高生である。
その南春香に「クン」をつけてみよう。






















minamikeharuka002.jpg


どうだ!
良妻賢母タイプの南春香にクンをつけるだけで、あっという間にオヤジ目線を獲得できた。
「クン」を斜めにすると、よりソレっぽい。
それから、名前のあとに(17)と年齢をつけるとオヤジ度数が2割がた上がったような気がする。

ついでに他の二人でも試してみた。







minamikekana003.jpg


minamichiaki001.jpg


こちらも「クン」づけ効果により、オヤジ目線を獲得できた。
小学生ですらいやらしい目で見ることが可能になった。
すばらしい。

この裏技を発見してから、いろんなキャラを「~クン」と呼んでみてオヤジ目線を楽しむという、日本の国益にそぐわないこと甚だしい行為を繰り返していたのだけれど、そうしているうち、あることに気づいた。

どうも「~クン」がそぐわないキャラがいるってことに。
上であげた「みなみけ」なんかは「~クン」がとてもはまってると思うんだけど、「~クン」がどうしてもあわないキャラがいる。
たとえば、コレ。















nagisakun002.jpg


「古河渚クン」は妙に変。違和感がある。
これが「古河渚タン」だったらちゃんと合ってるのに。
「クン」と「タン」じゃ偉い違いだ。

この「~クン」が似合う、似合わないというのは、極めて個人的な感覚なので、理解されにくいかもしれない。
だけど、ここはとりあえず個人的な感覚を述べさせてもらう。
たとえばマガジンの漫画で例をあげると、ネギま!と絶望先生のキャラに「~クン」はあわない。

神楽坂明日菜クン

風浦可符香クン

どっちも変だと思う。

いっぽう、スクールランブルのキャラには「~クン」が似合う。

周防美琴クン

沢近愛理クン

ちゃんと「~クン」がはまってると思う。

いや、「周防美琴クンは変じゃねーか」と文句言われるかもしれないけど、自分は合ってると思うんだな、これ。

まあ、ここらへん読者の皆さんを置き去りにして話を進めたいと思うんだけど、要するに、「~クン」が似合う似合わないってことを裏返してみれば、みなみけ、スクランはオヤジ目線が似合うが、クラナド、ネギま、絶望先生にはオヤジ目線が似合わないってことだ。

そのことの意味を考えていたんだけど、「~クン」が似合わないほうの3つって、どれもいわゆる萌え絵的なキャラだってことに気づいた。
絶望先生の絵を萌え絵と呼んでいいのかどうかには、疑問を感じないでもないけど、とりあえず、一般的な(=オヤジ的な)エロティシズムを喚起するような絵じゃないことは確か。

ネギまとスクランを比べてみれば、ネギまのほうに圧倒的にお色気シーンが多いのに、スクランのほうがオヤジ目線で見ることに違和感がないのはそこらへんの差なんじゃないかと。
スクランの絵柄って一般的なエロティシズムの上に成り立ってるように思えるし。

どうでもいいって言えば、どうでもいいことなんだけど、まあ、そんなことを思いました。

ちなみに、すべてのアニメキャラのうちで、「~クン」が最も似合わないのはこのキャラだと思う。














kunkun.jpg



「オチが弱い」とかのまっとうな批判は一切受け付けません。あしからず。

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CLANNADが善意で出来ているとすると、ef - a tale of memories.は悪意で出来ている

作画崩壊って単純には表現できない感情を何とか表現しようとした果てでもあるよね

ずいぶんと前の記事だけど、これは素晴らしかった。

なのはの『作画崩壊』の話から、ギャルゲー的なキャラは造形上から表情が乏しいということが書かれている。
私は絵を描ける人間ではないので、こういう視点がとても斬新で面白かったです。
もし読んでない人がいたらぜひ。

で、このなかの一節にこういうことが書かれている。

思うにいわゆる神作画というのは、これまで「アニメの女性キャラの作画で、普段と違って情報量の多い作画の時に使われた言葉」とか、「キャラ表から外れないで動作が丁寧な作画」みたいなニュアンスで使われてきたけど(作画オタの人が言う神作画についてはここでは触れない)、それに加えて「手塚治虫の言うマンガ記号論的な喜怒哀楽の表情から外れない程度に、情報量が多くて丁寧な作画」という側面があるのではないか、と。


手塚治虫のマンガ記号論っていうのは、目や口といった絵を記号のようなものとみなし、その記号の組み合わせで自分の絵が出来上がっている、つまり自分の描いてるマンガは象形文字のようなものではないか、と手塚が語っていた例のアレ。

手塚治虫は自分のマンガを記号の組み合わせで出来ていると(自嘲的にか)みなしていたようだけれども、すべてのマンガ表現が記号的であるとは私には思えない。
たとえば、小畑健や井上雄彦の絵が記号の組み合わせで出来ているのだろうか。

もちろん、見る人が見れば「アレも記号の組み合わせで出来てるんだよ」ということになるのかもしれないけど、とりあえず、私の目にはそう見えない。

一口にマンガと言っても、記号の組み合わせで出来ている度合いってのは、その漫画家によってかなり違ってるように思う。
たとえば、記号の組み合わせの度合いが高いのはケロロ軍曹とか。
アレなんかはまさに記号の組み合わせで感情を表現してるわけだし。

マンガの話はとりあえず、ここではおいておくことにして、ギャルゲーの話。
記号の組み合わせで出来てると言えば、ギャルゲーのキャラってまさにそうだよなあ、ってことをこの記事を読んでて思った。

ギャルゲーをやってるとき、自分は文章を読むのが面倒くさくて、ついついスキップ機能を使ってしまうんだけど、スキップしながらギャルゲーのキャラを見てると「福笑い」を見てるような感覚に陥ることがある。
同じ輪郭のなかで、眉をひそめたり、目をしかめてみせることで感情を視覚的に表現してる。
まさに手塚治虫の記号論と同じ原理でギャルゲーの視覚表現は成り立っている。

また、ギャルゲーは、普通のとき、怒ったとき、悲しいときなどの感情に対応した立ち絵を何種類か作って、それを適宜に出すことによって、キャラの感情を表わすわけだけども、これなんかは感情の記号化とでも呼べるんではなかろうか。

もちろん、ギャルゲーにおける感情表現というのは、視覚的なものに限られたわけじゃない。
文章によって表わすこともできるし、または声がついていれば、声優の演技によっても感情を表現することができる。
だから、ギャルゲーが感情の表現として稚拙なメディアだというつもりはないけれども、こと視覚的な部分に限ってみれば、かなり感情表現が限定されているということは確かだと思う。

で、ここからが本題。

今期のギャルゲー原作のアニメ、CLANNADとef - a tale of memories.。

B000WQ6IXUCLANNAD 2 (初回限定版)
神田朱未 桑島法子 能登麻美子
ポニーキャニオン 2008-01-16

by G-Tools


B000X431E0ef - a tale of memories. 2
やなせなつみ 岡田純子 田口宏子
ジェネオン エンタテインメント 2008-01-11

by G-Tools


この二つのアニメのキャラに対する態度というか姿勢がまったく異なっているのが個人的に面白かった。
原作ゲームはどっちも未プレイなんで、これはアニメだけを見た感想。

まずはCLANNAD。

zeni003.jpgzeni004.jpg

zeni001.jpgzeni002.jpg

CLANNADはキャラの表情がとても豊かに描かれているように感じる。
きわめて記号的なキャラにもかかわらず。

これは京アニという会社がこうした記号の組み合わせに習熟してるということもあるだろうし、また表情以外のところで感情を表現してることもあるかもしれない。
たとえば、キャラの動きや仕草とか。

京アニのCLANNAD観察眼

これを読むと原作ゲームをやった人の脳裏に浮かんだキャラの動きや仕草に違和感がないように作られてるらしい、CLANNADって。

こういう部分での信頼感があるから、前記した記事にあったように、観鈴の顔を崩したり、ハルヒの顔を崩したりという、キャラの記号の組み合わせを崩す行為に対してもちゃんと支持が得られるらしい。

京アニのキャラに対する姿勢ってのは愛情であり善意だ。
どれだけ活き活きとキャラを動かすことができるか、そこに情熱が傾けられている。


ef - a tale of memories.

これはCLANNADに比べれば、表情が乏しい。
キャラの動きにもそうこだわっている節はない。

しかも、このアニメのなかでキャラは様々に変形される。

akui010.jpgakui004.jpg

akui001.jpgakui002.jpg

影絵にされたり、切り刻まれたり。
このアニメのなかでは、感情を表現するのに、こんなふうにキャラを変形させることで、そのキャラを見ている人物の内面描写がされていることが多い。

CLANNADのキャラに対する姿勢が全き善意だとしたら、ef - a tale of memories.にあるのは悪意だ。

悪意という言葉が悪いとしたら批評性とでも言っていい。

キャラなんて所詮は記号の組み合わせに過ぎないとでもいうような醒めた意識がなければ、こういう絵にはならないだろうと思う。

それが端的に表れているのがOP。

akui007.jpgakui006.jpg

akui009.jpgakui008.jpg

ここでは、それぞれのキャラが影絵で示された後、崩壊していく様が描かれている。
キャラ自体も記号に過ぎず、それはいつでも壊すことが可能であるという感覚。
ここにあるのは、そんな暴力的な批評性だ。

CLANNADに比べると、たぶんef - a tale of memories.のほうが、萌えという感情を喚起する力は弱い。
それも圧倒的に弱いと思う。
キャラの表情を崩すといったレベルではなくて、キャラ自体を崩してみせているんだから、それも当然だろう。

作り手の側がキャラ自体を記号にすぎないと思っているのかどうか、それはわからない。
作中で京介という映研部員が
「オレはただ斬新な画が撮りたいだけなんだよ!」
みたいなことを言うシーンが何回かあるんだけど、ただ単に斬新な画が描きたいだけなのかもしれない。
だけど、とりあえず自分はこれを悪意だと受け取ったし、また批評性だと思った。

そして、そうであるがゆえにef - a tale of memories.は面白いと思う。
なぜなら、アニメやギャルゲーに含まれる「萌え」を虚仮にしてるような痛快さがあるからだ。

そういえば、手塚治虫もこのアニメと同じように、キャラを影絵にしたりとか、図像の一つとして扱っていたような記憶があるんだけど、そういうところで通底した感覚があるのかもしれないなあ。
キャラは記号に過ぎないという醒めた感覚と、またそうであるがゆえに遊びを入れられる度量みたいなもんが。

前述したように、私はこのゲームをやってないんで原作に対する批評性ってのがどれほどのもんなのかよくわからないんだけど、

ゲーム中のイラストは、他のアドベンチャーゲームに多く見られる立ち絵をベースとするのではなく、イベント画を多用し、ヒロイン分岐を無くすことによりプレイヤーにゲームを攻略させるのではなく、鑑賞させることに重点を置いている。(Wikipedia)


これや、

『ef - a tale of memories.』が面白い!~アニメにおける「わかりやすさ」の探求~

僕がminoriの作品で他に知っているのは『Wind -a breath of heart-』くらいなので、あまり詳しいことはわかりませんが、エロゲの欺瞞に対して自覚的なエロゲメーカであることは間違いありません。


これなんかを読むとこうした批評性ってのはもともと原作ゲームに組み込まれていたものなのかもしれない。

とりあえず、ef - a tale of memories.は面白い。
このアニメを見始めたのは日本のアニメは本当に世界一か?さんと tukinohaの絶対ブログ領域さんで絶賛されてたからなんだけど、面白いアニメを教えてもらえて感謝。

[関連記事]
これはスゴイ!『ef-a tale of memories.』第7話が大変な領域に足を踏み入れて来た

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萌えという感情にエロは含まれるのか?

以前、2ちゃんねるで

「萌えに性的要素は含まれない。萌えというのは、もっと高次元の感情なのだ」

という趣旨のことを書いてた人がいた。

私はこれがずっと妙に気になってた。
まるで、喉元に突き刺さった魚の骨みたいに。

萌えに性的要素は含まれない。
それは本当なのだろうか?

なので、今回、検証してみることにした。

まず、検証するというからには、言葉を厳密に用いる必要がある。
ここは当然ながら「萌え」という言葉の定義について定めなければいけない。

「萌え」の定義。
私はそんなものに興味はない。

というのも、「萌え」という言葉は拡散しすぎてしまっているからだ。
「萌え」は別に二次元のキャラにのみ使われる言葉ではない。
女性アイドルに向かって「○○萌え~」なんて使われているのはよく見るし、甚だしきにいたっては「ローゼン閣下萌え~」なんていう使用すら見たことがある。

還暦過ぎた政治家にさえ使われる「萌え」の定義を定めるなんてことは虚しいだけだ。
というのも、言葉の定義というのは、「言葉の正しい使いかた」を提示するとともに、それに反するものを「間違った使いかた」として排除するものだからだ。

「萌え」はそれぞれの人がそれぞれの使いかたをしてるんだから、私がとやかく言うことではないだろう。
だいいち、「萌え」の定義を定めたところで、何かいいことが起こるとも思えない。
だから、そんなものはどうでもいい、のである。

ということで、この文章のなかの「萌え」はあくまで私自身の感じる「萌え」に限定させていただく。

つまり、この文で検証するのは「私自身が萌えるキャラに、私自身が性的要素を感じているか」ということである。

えっと なんか もう それは 検証とは 呼べない気がする よ

だけど、そこらへんはあまり気にしないことにして、検証を進めたい。
あくまで自分自身の感情のみの「検証」ではあるが、これも検証は検証なのだ。

さて、ということで私自身が「萌える」キャラをランダムにピックアップしてみた。
これは、かなり適当に選んでみたので、自分自身の「最萌え」というわけではない。
いわば実験材料みたいなもんである。
それで私が萌えたことのあるキャラがこちら。


藤岡ハルヒ(桜蘭高校ホスト部)
真紅(ローゼンメイデン)
鴇羽舞衣(舞-HiME)
テレサ・テスタロッサ(フルメタル・パニック)
綾波レイ(エヴァンゲリオン)
カミナギ・リョーコ(ゼーガペイン)
大阪(あずまんが大王)
瀬戸燦(瀬戸の花嫁)
カレン(コードギアス)

数えてみたら9人だった。

なんつーか、どうも、自分が萌えたキャラを発表するのって、意外に恥ずかしい。
自分の底が見透かされているような気分になる。
しかし、そんなところで乙女のように恥ずかしがっていてもしかたがないので、論を進めたい。

それで問題は、この9人に私が性的要素を感じているのかどうか、ということである。
「性的要素」というとちょっと分かりづらいので、ここはもっと直截的に「性欲を感じているかどうか」ってことに変換しておく。

しかし、この判別がかなりむずかしい。
というのも、人間の感情のどこからが性欲とみなしていいものなのか、私にはよくわからないからである。

たとえば、年頃が小学生くらいのかわいい女の子を街で見かけたとしよう。
かわいい女の子なので、私は「かわいい」と思う(変な日本語)。

さて、この小学生女子を「かわいい」という私の感情に、性欲は含まれているのだろうか?

このかわいい女子小学生をすぐさま拉致って、家に監禁し、自分の人肌のミルク、というか、いつも人肌のミルクをお腹いっぱい飲ませたい、飲ませてあげたい、いや、飲め!、、、、、とは別に思わない。

はっきり言ってそれは犯罪だし、はっきり言わなくてもそれは犯罪だし、さすがにこんなことを考えているわけではない。
こういう意味合いで私の「かわいい」という感情が生まれているわけではない。

しかし、本当にその「かわいい」に性欲が含まれていないのか、と聞かれると、ちょっと言葉に詰まるのである。

というのも、人間というのは大概のものを性的に見てしまえるものなのだ。

たとえば、父親が娘をかわいいと思う、そういう感情のなかに性的なものは含まれていないのか?
父親の娘を見る慈愛に満ちた眼差しにも、性的なものは混入しているのかもしれない。
たしかに、それはそうなのだ。

つまり「性的」だとか「性欲」という言葉の範囲はどこまでも拡大することができるのである。

しかし、父親の娘に対する感情にたとえ「性欲」が含まれていたとしても、実際に娘と性交に及ぶ父親はごくごくわずかである、というのもまた事実だ。
だから、自分の感情にたとえ性欲の影があったとしても、その感情を性欲以外の何物でもない、と断言するのは愚かしい。

ということで、ここは具体的に物事を考えることにする。

上であげた9人の萌えキャラ。
彼女らに私が性欲を感じているのかどうか、それを判別するのはもっと具体的な欲望で判別されるべきなのだ。
つまり、判断する基準はこうだ。

「そのキャラのエロ同人誌を見たいかどうか」

これだ!!!

この判断基準であれば、かなり明快に答えることができるはずである。
ということで、以下は上の萌えキャラのエロ同人誌が見たいかどうか、という私の具体的な欲望について検証してみたものである。



moefujioka.jpg
藤岡ハルヒ(桜蘭高校ホスト部)

[見たくない]
はっきり言って、藤岡ハルヒのエロには嫌悪感がある。
生理的に受け付けない。
もう一人のハルヒ、涼宮ハルヒについては言及しない。
実は、次回もエロ記事の予定なんだけど、そこで涼宮ハルヒの話を書くので。


moeshinku.jpg
真紅(ローゼンメイデン)

[ものすごく見たくない]
これは、もう無理。
道徳的な観点から拒否反応を示しているのではなくて、真紅のエロははっきり言って気色悪い。
吐き気がする。


moeayanami.jpg
綾波レイ(エヴァンゲリオン)

[見たい]
というか、もう既に何冊も読んでる。
なので、いまさら「見たい」とか「見たくない」とかの話ではないんだけど。
ところで、いままでエロ同人誌で最も描かれたキャラって誰なんだろう。
そんなのは誰にもわからないだろうけど、綾波、アスカの二人は確実にトップ10に入ってるんじゃないだろうか。
今度、CDTVとかでやってくれないかなあ。
こういう企画。


moemai.jpg
鴇羽舞衣(舞-HiME)

[見たい]
真紅に鴇羽舞衣なんて出すと「不人気の主役キャラが好きなのか」とか思われそうで、なんか心外。
おっと、エロの話。

鴇羽舞衣×エロ=全然オッケー

嫌悪感もまったくない。
なんなら、陵辱ものとかでもイケる。


moetessa.jpg
テレサ・テスタロッサ(フルメタル・パニック)

[見たい]
私はロリキャラは受け付けない体質なんだけど、テッサであれば大丈夫。
って何が大丈夫なんだか知らんけど。


moekaminagi.jpg
カミナギ・リョーコ(ゼーガペイン)

[保留]
えっと・・・、これは。
判断が難しい。
見たいような、見たくないような、自分でも感情が上手くつかめない。
だけど、実際に見てもあまり嫌悪感は抱かないような気がする。


moeoosaka.jpg
大阪(あずまんが大王)

[積極的に見たくない]
私が皇帝だったら、大阪のエロ同人誌は焚書にすると思う。
幸か不幸か、私には皇帝になる方法がよくわからないので、今のところ焚書にはなっていないが。


moesan.jpg
瀬戸燦(瀬戸の花嫁)

[保留]
カミナギと同じく、これもよくわからない。
欲望というのは不思議なもので、それが目覚めなければ自分自身にも欲望と認知されなかったりする。
だから、これは単に欲望が目覚めてない状態なのかもしれない。
ただ、

瀬戸燦×エロ

にそれほど嫌悪感は抱かないとは思うけど。


moekarren.jpg
カレン(コードギアス)

[見たい]
これは素直に見たいと思う。カレンのエロ同人誌。
いや、実際に読んだことあるんだけど。
実は私はC.C.のほうが好きだったりするんだけど、不思議とC.C.のエロは見たくないような気がする。
うーん。なぜだろう?
乳の大きさかな。


[検証結果発表]

ということで、検証してみたところ、

[見たい] 4人

[見たくない] 3人

[保留] 2人

という結果だった。

こうやって見ると、意外に[見たくない]が多い。

実は、この検証をしてみる前はこう思ってた。

「萌えに性的要素が含まれないなんてそんなバカなことがあるか。バリバリ含まれるわ、ボケぇ」って。

しかし、実際に試してみると、どうしても性欲が向かっていかないキャラが3人いた。
藤岡ハルヒ 真紅 大阪
しかも、この3人にエロを絡められると、相当な嫌悪感があったりする。

なるほど。
これは確かに「萌えに性的要素は含まれない」という言い方もアリなのかもしれない。
その人の「萌え」という感情の有効範囲によっては、たしかに性的なものが含まれてない場合があるのだろう。


[性欲を向けられるキャラとそうでないキャラの違い]

エロ目線で見ても平気なキャラとそうでないキャラがいるんだけど、この感情の違いはどこから来ているんだろう?
ちょっと考えてみた。

思いいれが強いキャラのエロは見たくない、っていう感情はかなり理解されやすいものだろうと思う。
実際にそういう人は多いのかもしれない。
とても好きだから汚したくない、みたいな。
しかし、とりあえずそれは私自身にはまったく当てはまってない。

というのも、上の9人のなかで最も思いいれが強いのは「綾波レイ」だからである。
「○○は俺の嫁」という言い方を借用すれば「綾波は俺の嫁」だ。
しかし、その嫁でヌキまくった経験が私にはある。
だから、思いいれの強さがエロを阻害する理論は私には通用しない。

それでは、どこでエロOKとエロNGの区別をしているのだろう、私は。

まず、その判断基準の一つにはすぐ気づいたんだけど、要するに「胸の大きさ」。
それが胸の大きなキャラだと、性欲のピストルを向けるのに何のためらいもない。
カレンに鴇羽舞衣が、その典型。
だけど、これが胸の小さなキャラだと、かなりためらってしまう。
ただ、この判断基準は個人的な性癖によるところ大なので、どうでもいいと思う。

次に気づいたのが作品ごとに、エロOKとエロNGを分別してるってこと。

たとえば、エヴァンゲリオン。
綾波をエロ目的で使用できるのはもちろんだが、エヴァに出てくる他のキャラも私は同様にエロ使用することができる。
アスカ、ミサト、リツコ、マヤ、すべてエロ使用が可能なのである。
これは、舞-HiMEも同様で、鴇羽舞衣、玖我なつき、藤乃静留、ここらへんはエロ使用することができる。
ただ、美袋命はちょっと無理かもしれないけど。

次に、ローゼンメイデン。
真紅がエロNGなのはすでに書いたとおりだが、他のローゼンメイデンたち。
水銀燈、翠星石、蒼星石、金糸雀、雛苺。
みんな性的な対象としては見ることができない。

ローゼンメイデンは容姿がアレだから特殊例だとも言えるけど、それなら、あずまんが大王。

あずまんが大王に出てくる、大阪以外のキャラも性的対象にならない。
ちよちゃん。いやいやいや、アリエナイ!
ちよちゃんがアリエナイのは当たり前にしても、その他の榊、とも、よみあたりも全部ダメ。
性的対象として見ることができない。
二人の女教師。
これも無理。

だけど、よくよく考えたらこの二人の女教師、谷崎ゆかり、黒沢みなもは年齢も高いわけだし、性的対象になりそうなもんである。
というか、これは積極的に性的対象として見るべきだ、とすら言える。
しかし、そういう目で見ることにどうも嫌悪感がある。

こうした嫌悪感が道徳的な規律から導き出されたものではないことは明らかだ。

だって、自分が性欲向けまくってる綾波って14歳だし。
いや、綾波に年齢は関係なかったりするか。
それじゃアスカでもいいや。
アスカを性的対象として見ることに私は何の逡巡も覚えてない。
だから、これは道徳に拠るものではなく、もっと別の基準で判断しているらしい。

・エヴァンゲリオン、舞-HiMEはほぼ全てのキャラをエロ使用することができる。

・ローゼンメイデン、あずまんが大王はほぼ全てのキャラをエロ使用できない。

これは、つまりその作品がエロをチラつかせているかどうか、ってとこで判断が分かれてるらしい。

たとえば、舞-HiMEは一話目からこんなシーンがあったりするし。

moemai1.jpg

moemai2.jpg

moemai3.jpg


こんなふうに「エロ」という撒き餌をばらまいてるような作品だと安心して、エロ使用できるらしい、私の場合。
エヴァだって、その手のエロ撒き餌は十分にまかれている。
シンジが綾波を押し倒してしまうところ、とか。

一方、ローゼンメイデンのように、エロ要素が限りなくゼロに近いものだと、エロ使用することに嫌悪感を覚える、そういうことらしい。
(PEACH-PITがローゼンメイデンに性的要素を入れないように気を使っている、みたいな文章をどっかで読んだ記憶があるんだけど、調べてみたら見つからなかった。記憶違いしてたのかなあ)

つまり、作り手の側が「これ使ってヌイていいですよー」っていうメッセージを発しているような作品だと、安心してヌイているってことか。
いや、「ヌイていいですよー」とは言ってないだろうけどさ。

今回、取り上げた中だと、フルメタル・パニックとかもそう。
これもテッサのみならず、千鳥かなめのほうもエロ使用することができるからなあ。

なんだか、こう考えてみると、自分自身がエロという意味ではまったくの凡人であることに気づく。
要するに、作り手の意思の範囲内でしかエロ妄想を膨らませることができていないのだ。
許可されたところでしか、エロ妄想できない、っていう。

私のようなエロ凡人に比べると、エロ達人はさぞかしスゴいのだろうなあ。

エロ達人。
なんだ、それ。

エロ禁止の広場で傍若無人にエロの花を咲かせることができる、それがエロ達人。
ちびまる子ちゃんのまる子、果ては日本むかし話のおばあさんでもヌケる。
たぶん、そういうのがエロ達人。

エロ達人か・・・・・。
なりたかねェな、そんなもんには。


[結論]

萌えに性的要素は含まれない、という言い方にも一理あるように感じたってのは文中で書いたとおり。

だけど、やっぱり、これは無理がある。
だって、これだとエロゲーのキャラには「萌え」って使えないことになってしまうから。

萌えの定義なんてどうでもいい、ということを冒頭で書いたけど、確かにそんなものはどうでもいい。
だけど、さすがにエロゲキャラに萌えという言葉を使えないってのはありえないだろう。

かといって、萌えに性的要素は含まれると断言することができないのもまた事実ではあるけど。

*なんか、今回の文章は中間部分をばっさり切ってしまえば、10行くらいで終わったような気が・・・・・。




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アニメにおけるおっぱいと年齢の考察

今回の記事は、もともと、前の二つの記事の結論として考えていたものなんですけど、かなりいい加減な考察なもんで、別々にしてみました。


なぜ、巨乳キャラに頭のいいキャラが散見されるのか(しかも女科学者とかの脇役に多い)、そして、貧乳キャラにアホキャラが結構多いのはなぜか、みたいなことを考えてたら、これを思いついた、ってことですんで、そこらへん留意のうえ読んでいただけると幸いです。




[アニメに出てくる母親が若い外見で描かれている件]

以前に、アニメに出てくる母親が若い外見で描かれるのはどうしてだろう、と疑問を呈したことがある。
まあ呈したきりで、答えも何にも出さなかったんですけど。


たとえば、以下の二つの画像は、「Kanon」に出てくる名雪と名雪の母親である。
これ、どっちがどっちだか分かるだろうか?

hahaup.jpgnayukiup.jpg


名雪は今、高校生なので、その母親となると、だいたい40歳前後といったところが妥当だと思う。
つまり、一方が高校生で、一方が中年女性なわけだが、こうして顔をアップにしてみると、どっちがどっちだかさっぱり見当がつかない。


もちろん、中年女性が中年女性らしく描かれているアニメというのもあるわけで、たとえば、この前見た電脳コイルなんかは、中年のおばさんがちゃんと中年のおばさんに見えるように描かれていた。


どうも、こんなふうに中年女性を妙に若々しいキャラデザインで表現するのは、俗に言う「萌えアニメ」に多いような気がする。

shanahaha.jpg


たとえば、これは「灼眼のシャナ」の主人公の母親なんだけど、これまた若い。
何の予備知識もない一般人にこの絵を見せて「何歳に見える?」と聞いたら、たぶん「20代くらい」って答えるんじゃないだろうか。
オタク度の低い人だったら、「10代」って答えすらあるかもしれない。


この異常に若く見える、「名雪の母親」と「シャナの主人公(←名前忘れてしまった)の母親」をちゃんと中年女性に見えるようにするのは極めて簡単で、口元に「シワ」を書けばいい。
それだけで、ちゃんと中年女性に見える。

higehaha.jpg
(自分で試しに書いてみたんだけど、私に絵心がないせいか、三国志に出てくる武将のヒゲみたいになってしまったんだが、ま、言いたいことは分かると思う)


しかし、なぜか、こういう簡単な手法で「女性の年齢」を表現するということはされていない。


ただ、このままだと、作中に出てくる女キャラの年齢がわけがわからなくなり、無用の混乱を生んでしまう。


初めてそのアニメを見た人間にも、キャラの年齢のおおよそ推察できるようにしておいたほうがいい。
ということは、顔以外の部分で「女性の年齢」をはっきりさせる必要があるわけだ。


その年齢の差をはっきりさせる記号の一つが「声」。
一般的に言って、若い女性は声が高く、年のいった女性は低めの声が当てられる。
たとえば、あずまんが大王でもだいたい年齢順に声が高くなっていってる。
もっとも、あのアニメの女子キャラのうちで、いちばん声が低いのは、たぶん榊だろうけど、これは彼女がいちばん背が高いからか。
ジャイアント馬場の声が低いのと同じ原理。
それから、ちよちゃんの声が小学校高学年にしては高すぎるような気がしないでもない。
あれはだいたい幼稚園児くらいの声の高さじゃないかと思うんだけど。



「ファッション」。
名雪と名雪の母親の画像をひいてみると、

nayuki.jpg

haha.jpg



こんなふうになって、名雪は制服を着ているので、中学生か高校生であることがわかる。
一方、名雪の母親は平日に私服を着ているので、まあ多分主婦だろうということが見当がつく。
もっとも、名雪の母親の職業は不明という設定らしいが。


で、上の二つが「女性の年齢」をはっきり区別するための手法として、一番使われるものだとは思うんだけど、それ以外にいくつかあると思う。
たとえば、おっぱいとか、おっぱいとか、おっぱいとか。


まあ、とりあえず以下の検証例を見てください。



[ラーゼフォンに見るおっぱいと年齢の相関関係]

まず、ラーゼフォンに出てくる女子キャラを十代と二十代に分けてみる。
彼女らの正確な年齢がわからないんで、ひょっとしたら違っているかもしれないけれども、まあこれでだいたいは合ってると思う。


とりあえず、何歳だかわからない


kuon2.jpg

久遠は省いておいた。
というか、彼女は人間ですらないし。


まずは十代の二人。



rah3.jpg
左が紫東 恵、右がキム・ホタル。


次に(たぶん)二十代の女子キャラ。



rah1.jpg
エルフィ・ハディヤット


rah2.jpg
キャシー・マクマホン


一応、両者とも制服で比べてみた。
一見して分かると思うけど、二十代チームの二人は胸元が開いている。
胸のボリューム感も相当ある。
それに対して、十代チームの二人は、胸がぜんぜん目立ってない。


まあ、これは二十代の二人が「外国人」なので、年齢的な観点からのみ比較するのは不適当かもしれないので、今度は二十代の日本人を出してみる。




nanamori2.jpg

nanamori.jpg
七森 小夜子


前の記事で「アニメに出てくる女科学者はなぜか巨乳が多い」ということを書いたんだけど、そういえば、この人も「女科学者」だった。
服装こそ、胸元は開いてないが、この人はおそらくラーゼフォンで一番の巨乳である。




こうして見ると、二十代のほうの女キャラには、「巨乳である」か「胸元を強調している」服装が多いのは明らかである。


もっとも、メインヒロインである紫東 遙(確か二十代後半)は、あまり胸を強調してはいないが、それでも妹の恵(十代)よりは、確実に胸がある。



haruka2.jpg
姉おっぱい(20代)

megumititi.jpg
妹おっぱい(10代)




[舞-HiMEと舞-乙HiMEに見る女性の年齢の表わし方]

舞-乙HiMEっていうのは、舞-HiMEの後継作品なんだけど、この二つは世界観はまったく違う。
舞-HiMEは現実世界を下敷きにしてるけど、舞-乙HiMEのほうは、違う惑星の話になってる。


で、舞-HiMEに出てたキャラが舞-乙HiMEにも出てたりするんだけど、これは前作そのままの役柄で出ているわけではない。
手塚治虫のスターシステムみたいに、同じキャラが違う役柄で出ているっていう感じ。
性格とかは基本的に変わらない(一部例外もある)のだけど、作中での立場とかは大幅にかわってるキャラもいたりする。


ここでとりあげるのは玖我なつき。


玖我なつきは舞-乙HiMEでは、ナツキ・クルーガーというキャラ名で再登場する。
舞-HiMEのときのなつきは高校生だったが、舞-乙HiMEでのナツキは「学園長」とか呼ばれていてなんか偉いらしい。
ナツキ・クルーガーの年齢に関してはよくわからないんだけど、なんとなく20代後半くらいのように感じる。
ひょっとしたら、20代前半なのかもしれないけど、とりあえず、舞-HiMEでの高校生に比較したら、かなり年齢は上である。


「玖我なつき」と「ナツキ・クルーガー」は顔はまったく同じだと思う。
10代と20代という違いはあるけど、顔だけ見るとあまり変わっていないように見える。


しかし、なつきとナツキの画像を並べてみると、一目で分かる外見上の変化がある。



natukiyoujo.jpg
玖我なつき(舞-HiME)


natukimune.jpg
ナツキ・クルーガー(舞-乙HiME)




そう、胸。
20代のナツキは常時、この胸の谷間をちらちらさせた衣装を着ている。
それに対して10代のなつきは、胸を強調した服を着ていない。
心なしか、胸自体も少し大きくなってるような気がする。
まあ、これは気のせいかもしらんけど。



ここではとりあえず、ラーゼフォンと舞-乙HiMEで検証してみたんだけど、10代女性と20代女性を区分けするときに、「おっぱい」で差異を出そうとするのはかなりありふれているような感じがする。
胸自体を大きく表現してみたり(つまり巨乳にする)とか、または胸を強調した服を着せてみたりとか。


つまり、アニメのなかでは「おっぱい」というのは、女性の年齢を指し示す記号として使われている例が結構多い。
20代と30代の年齢差を表現するのに使われたりすることはあまりないけれど、10代と20代の年齢差をはっきりわからせるために使われるというのは、かなりありふれているように思う。


実際の10代と20代女性の胸囲差というのがどれだけあるのかというデータは見つからなかったんだけど、そんなに大差はないと思う。
少なくともアニメで表現されるような大きな差はない。
もちろん、13歳女性と28歳女性を比較したら、そりゃ28歳のほうが大きいだろうけど、これが18歳と28歳だったら、そんなに変わらないんじゃないだろうか。


そういえば、ほしのあきが「わたしは20代で胸が急激に大きくなった」という話をしているのを聞いたことがある。
それって、よくアイドルとかが言う「子供のころは一重だったけど、成長するにつれて二重になった」とかいう話と同じなんじゃねーか、という気がしないでもない。
まあ、私はほしのあきが好きなんで、彼女の言うことは全面的に信用するけれども、こういうのは例外中の例外だろう。


で、こうしてアニメのなかでは「胸」を年齢差を表わす記号として使っているわけで、そうしたときに、「巨乳」というのは「成熟」のシンボルとなる。


もちろん、リアルな世界でも「巨乳」というのは「成熟」のシンボルである。
胸が大きいということは、その女が「性交可能な成熟した女」である、ということを示しているし。
だから、リアルの世界では「巨乳」はエロな意味合いをもつ。


しかし、私がここで言っている「(アニメのなかでの)成熟」というのは、そうした性的な意味合いだけのものではなく、もっと全人格的なものだ。
知性面、感情面での成熟も含んでいる。
それがなぜかというと、前述したように、年齢差を分からせるための記号として胸を使っているせいだ、と思う。
女の成長という時間軸を見せるために、「胸」を使っているので、それだけ多用な意味を持ってしまうのではなかろうか。


アニメに出てくる女科学者に巨乳が多いのは、ただ単に胸を年齢差を表わすための記号として使っているためであって、


科学者という知的な職業+巨乳=エロ!


みたいな、フランス書院文庫的な発想によるものではないと思う。
まあ、実際にはフランス書院的な発想もあるかもしらんけど。

*余談ながら、ラーゼフォンって年齢差を表現するのがかなり上手かったアニメだと思う。
遥は20代後半なんだけど、ちゃんと20代後半に見えてたし。
以前、

ラーゼフォンは失敗作か?

この記事で、散々ラーゼフォンのことをけなしたけど、まあ、こんなふうに良いところもあります。
最近、「ラーゼフォン」で検索して来る人がかなり多いのでフォローのつもり。
検索エンジン経由だと、「コードギアス」が一番、次がラーゼフォンって感じになってる。

やましなひびさんからの情報によると、

設定だけで言えば、なつき→ナツキのバストサイズはそのままに身長だけ伸びているので乳関数は下がっているんですよね。他のキャラも大抵そんなカンジで上位は『舞-HiME』キャラが独占しているという。

 少なくとも設定を作っている人達は、“大人になった彼女ら”をバストサイズではなく身長で表現していたのでしょう。


だそうです。
そうなのか。知らんかった。
実は年齢を表わす表現として「身長」も考えていたんですけど、適当なアニメが見つからなかったんで、断念してました。
舞-HiME→舞-乙HiMEがそうだったとは。
灯台下暗し。


*ネットで「おっぱい」について色々と調べてたら、ある重要なデータを手に入れたので、ついでに公表しておきます。
というか、これだけ有意義なデータは滅多に出会えないもんなんで、なにはさておき、これだけは伝えなきゃいかんな、と思った。


「乳房」ウイキペディア


また、ヒトの乳房は、神経終末が集中している乳首をはじめ刺激を受けると性的興奮を得やすい。医学博士の志賀貢によると、クリトリスの性感を100とすると、乳首の感度は80前後という事である。

クリトリスの性感を100とすると、乳首の感度は80前後!!!
そんなに感じるのか乳首って。
って、それどうやって調べたんだかわけがわからんが。

To Heart 2 XRATED 通常版

今回の企画でエロゲーはぜんぜん出さなかったんだけど、
これに出てくる環姉とささら(生徒会長)ってどっちも巨乳+知的キャラ。
もっとも、全員攻略したわけじゃないから、
確かなことはいえないけども。

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